<FFIGURATI #20>(左)<FFIGURATI #21>(右)、2012年、Photo by Yojiro Imasaka
平本 こうやって年代を追って見ていくと、最近の作品でモチーフが少し変わって来ているのが面白いね。
大山 そうだね。これは今年の4月にニューヨークでつくったFFIGURATI#20と#21という作品で、アクション性が高まった部分はあると思う。以前は線の輪郭をはっきり出してグラフィカルにかくことが多かったけど、最近は絵具の垂れや染みこみ、形のズレや輪郭のボカシとか、ノイズの要素をふたたび取りこんでいるかもしれない。
平本 ぼくもこれまでいくつか作品を生で見たことがあるけど、どうしてここにきて変化したの?それこそ今まではミニマライズというか、最小単位のパターンを組み合わせることで造形がなされるとか、空間が構成されていくことで表現を形成してきたわけでしょ。COMME des GARÇONSしかり、あいちトリエンナーレしかり。そういうなかでこれは全然違うよね。そこのところ、心境の変化はあるんでしょうか?
大山 やっぱりニューヨークに行ったことは大きいかな。感覚的な言い方になるけど、ニューヨークってジャクソン・ポロックとかデ・クーニングとか、絵画に関してはまだまだに抽象表現主義的なものがある。
平本 音楽もそういうところあるからね。ジョン・ケージを中心に、フルクサスとかマースカニングハム舞踊団とか、1950年代~70年代にかけてのそれこそが芸術、高尚なアートや音楽っていう流れは感じる。音楽的にどうこうである以上に実験的精神の強いものがもてはやされたりとかいまだにあるみたいだしね。
大山 ぼくもそういうアブストラクトな表現が好きだったりする。ただ、安易にアクション・ペインティング風な雰囲気を画面に持ちこむのってそんなに難しいことではなくて、だれでもできてしまうような危険があるから、これまでは少し慎重に避けてきた部分があったんだよね。やってみたいけど抑圧しておくというか。でも他方で、そういう要素を持ちこむことでQTSにもっとストレートな表現力を与えられるという気もしていて。ニューヨークに行ってそういう感じが1回吹っ切れて、スタジオも大きいし、これはひとつ思い切り身体を使って、気持ちよくかいてみようという感じになった。そっちのほうが直球勝負な気がして。
平本 音楽を作るときだけど、ミニマルミュージックやミニマルを基本としたものってベースにあるリズムに発想のヒントをもらうことがあるんだよね。例えば、ベースに4つ打ちがあったら、1小節単位で考えると1小節に4つのカウントが入る訳だから、その間のどのタイミングに音をはめていくかを考えていく。逆にそのリズムから抜け出せない訳だから、発想を縛ることにもなるけど。
逆にアブストラクトなものって自己の中での時間感覚にすごく左右されるんだよ。だから相当時間感覚が研ぎすまされている状態、冷静な見極めができる状態でないと制作ができない。音楽の場合は時間に対してのセンシティブさがアブストラクトの制作には求められると思うんだけど、そういういままでのミニマル的なモチーフの使い方をしていたときとは違ったセンシティブさがこの作品を制作するときにはあったんじゃないかと。
大山 それって即興の問題に関係していると思う。最近デレク・ベイリーの『インプロヴィゼーション』っていう本を読んでいることもあって、即興っていうことに関心があるんだよね。
ぼくなりの意見だけど、音楽の即興とペインティングの即興の違いはなにかと考えてみるとね、音楽ってどれだけ音を出しても空間が埋まらないじゃない。物理的な意味でね。ペインティングだと線をかき続けると画面がどんどん埋まっていって、最後の方はもう細部しかいじれなくなっちゃうし、画面に大きな変化を持ちこめない。逆に言うと、からっぽの画面にファースト・ストロークを入れる最初の瞬間がもっとも画面に大きな変化を生み出せるし、緊張感も高い。
平本 なにが起こるかの最初のベクトルを提示するからね。
大山 そう。たとえば音楽って、とくにポップスがそうだけど、AメロBメロときてサビがあるっていう感じで、時間の流れのなかで少しずつクライマックスに向かってテンションが上がっていくじゃない。でもライブペインティングでは、まず最初にクライマックスがあるけど、時間が経つにつれて変化の起伏が減少してテンションがだんだん下がっていくっていうところがあると思うんだよね。それはライブペインティングっていう表現形式が持つ構造的な性質だと思う。そのポイントにどう取り組むかというのが、ライブペインティングをやるうえで大事なことなのかなという気が最近してるかな。
千駄ヶ谷FICTIONでのライブペインティングの様子(2012年7月)。
平本 でも、音楽も一緒じゃないかな。もし完全な即興でライブをするとしたら、1音目になにを鳴らすかが相当大切なことでしょ。音楽の場合はアブストラクトな演奏をカットアウトして、いきなりリズム曲を演奏するっていうこともできるけど、お客さんが最初から聴いていた場合はそれまでの時間に鳴っていた音を吸収しているから、決して耳がリセットされる訳ではない。
大山 なるほど。ということは、キャンバス上に線や色が蓄積されて画面が埋まっていくプロセスと、音楽でいう鑑賞者の耳の記憶というか、時間上の印象の堆積はある程度まで似ているということなのかな。