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東京を巡る対談 月一更新

勅使河原加奈子(フードプランナー・通訳)×平本正宏 対談 習うより慣れろで学んだ料理と外国語

勅使河原加奈子(フードプランナー・通訳)×平本正宏 対談

収録日:2014年2月7日

収録地:カフェ・トロワグロ/中道通り

対談場所:CREMA オフィス

撮影:moco

<ブラスバンドでのチューバの楽しさ>

平本 勅使河原さんのご自宅、ジョエル・ロブションさんが遊びにこられたことがあるんですよね?

勅使河原 そうです(笑)、家庭料理が食べたいということで、深川飯を作りました。和牛のステーキ肉を見せたら「自分が焼く」と言い出して。どんなところでも生で素材の味を確かめるんですよね。そのときも焼く前に生肉を味見して、そのあと焼いて下さって、みんなで美味しく頂きました。

平本 勅使河原さんは僕がよくお酒をご一緒する人たちと仲が良くて、このエピソードはお酒の席でも伝説、レジェンドとして語られています(笑)。

僕、美味しいものを食べること、飲むことがとても好きでして(笑)、それで、食べたり飲んだりしていると、やっぱりその素材を作った方、料理された方、お酒を造られた方、そして、その料理、お酒が素晴らしいことを伝えてくれた方の存在が気になるんです。いくら美味しいものでも、それを見つけて、それが素晴らしいことを伝える人がいないと宝の持ち腐れというか、それは世に出ません。もちろん料理、お酒だけでなく、音楽、美術、文学などあらゆる分野で同じことが言えます。伝え方も重要です。

勅使河原さんはフードプランナーや通訳として、ジョエル・ロブション、ミッシェル・トロワグロといった世界最高峰のシェフに信頼され、日本と世界との架け橋としてお仕事をされていて、それは人とその人が持っている文化を見つめて、面白い化学反応が起きる側面を探されるように思えました。

そんな勅使河原さんですが(笑)、料理のお仕事に至るまでは実は音楽が生活の中心だったとか。キューバのミュージシャンの招聘もされたりしていますよね。せっかく音楽レーベルの対談企画なので、まずは音楽からフランス料理に至った流れを教えて頂ければ。

勅使河原 音楽はコンプレックスだったんです。

平本 いきなり面白い展開です(笑)。

勅使河原 ピアノを習って挫折したのは5歳とか幼稚園の時でした。それで小学校に入って、ミッションスクールだったので、礼拝のときに、やはり出来る女の子は賛美歌の伴奏をやるのですが自分はそれが出来ない。絶対音感を鍛えようとしてピアノの鍵盤をポーンとやって、「これ何の音?」って先生に聞かれても全部外れる。それで先生からも呆れられ。で、小学校の時の音楽の先生もまた怖かったんです。それがトラウマになって。だけど中学高校はブラスバンドでした。チューバを。最初はコルネットだったのですが、チューバになって。チューバは楽しかったんですよ、ベースラインだから皆が無いところで自分の音が出るし(笑)。

平本 分かりますね! 自分の音が支えてる感もあるし。

勅使河原 支えてる感もあるし、さらに、中学校の音楽の先生がすごい良い先生だったんですね。その先生がブラスバンドでいっぱい褒めて下さって、段々音楽が好きになって、演奏するのが楽しくなりました。で、初見はすごい苦手なんですけども、耳でちゃんと聞けば慣れるタイプだったのです。

平本 そこで楽しくなってよかったですよね。音楽は本来絶対に楽しいものですけど、先生が厳しくて嫌いになっちゃう人も結構います。

勅使河原 そして高校2年生の時にジャズが好きになりました。

平本 へぇ、きっかけは何だったんですか。

勅使河原 きっかけは、私がやけどをして入院した時に同級生が入院中つまらないだろうからと言って、ウォークマンとカセットテープを貸してくれて、そこに日野皓正が入っていたことです。すごく恥ずかしいんですけど、それでなんかジャズに興味もって、マイルス・デイヴィスとかを聴くようになり。「自分は絶対にニューヨークへ行くぞ!」と、それしか考えられないくらいにジャズにハマっていました。

平本 ニューヨークの本場のジャズ、ハマったらそれは行きたいですよね。僕は音楽には聴く周期があって、いろんなジャンルをグルグルするのですが、3年くらい前にすごく大きなジャズ熱が来て、それこそ買うCD、買うCDすべてジャズっていうときがありました。それまでももちろん聴いていたのですが、そのときはスピリチュアル系のかなりディープなやつを友人に教えてもらって。カッコいいんですよね。ただ、どのアーティストも亡くなっていたりで、世界のどこに行ってもライブを聴くことができず、それは残念でしたが。ハマったときに、そこに行けばそのアーティストの音を聴けるというのはやっぱりいいですよね。

勅使河原 日野皓正もその頃ニューヨークに住んでいましたし。マイルス・デイヴィスを古い方からずっと聴いていました。ちょうど活動を休止していた頃でした。で7年ぶりくらいで彼が復活して、そのコンサートやったのが今日撮影に行った西新宿カフェ・トロワグロの近くで、現在都庁のある空き地だったのです。大学生になったらジャズのビッグバンドに入りました。本当はトランペットかサックスをやりたかったのですが、どちらもジャズの花形ですから。でも空きがトロンボーンしかなかったので、トロンボーンになりました。

平本 もうこうなると音楽漬けの生活ですね。

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