駒井知会(弁護士)×平本正宏 対談 人の人生を変えていく為の難民支援

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駒井知会(弁護士)×平本正宏 対談

収録日:2015年7月18日

収録地:神保町/カフェテラス古瀬戸

撮影:moco

編集:矢本祥子

<社会的に弱い立場の人達の側にいたい>

平本 難民支援の話は最近ニュースなどでも取り上げられるようになり、少しずつみんなが知るようになりました。日本に沢山の外国の方が訪れますし、日本で仕事をされる方、日本人と結婚される方も年々増えていると思います。僕も仕事で知り合う機会も多く、特に気にもしません。日本国籍を取得した友人、ハーフやクウォーターの友人もいます。国際社会が進み、容易に国と国を行き来することができるようになると、その垣根はどんどん取れていく、反対に日本人だって海外にガンガン進出していますし。

でも、国籍の問題は何かが起きたときに、大変なことも多々ありそうです。それがその人にとって精神的に大きなダメージになることも想像できます。

弁護士として外国の方や難民支援としてアプローチをするお仕事を選ばれたのは、どのようないきさつなのでしょうか?

駒井 難民と関わる仕事がしたいと思うようになったきっかけは、ひとつではないんです。大学時代に「国際関係論」という専攻を選び、国際法、国際政治、国際経済という必修科目を受けていく中で、徐々に「この問題に取り組みたい」という思いで、国際人権法・国際難民法への傾斜が強まっていきました。最終的には、卒論で何を書くか考えていて、国際難民法を選んだ時に、これだ、と自分の焦点がぴたっと合った気がします。

ただ、「難民」ということを初めて意識したのは、子どもの頃のことでした。小学生のとき、まだベルリンの壁があった西ドイツ(ドイツ連邦共和国)のデュッセルドルフに住んでいた時期があって、親に、ベルリンに連れて行ってもらったことがありました。当時、御存知のように、ベルリンもまた西ベルリンと東ベルリンに分かれていて、ベルリンの壁もまだ現役だったんです。ベルリンの壁の西側に、白い十字架が幾つも並んでいて、子どもだった私が父に「これは何?」と尋ねましたら、東ベルリンから西ベルリンに行こうとして、失敗し命を落としてしまった人達のお墓だと言うんですよね。御遺体の入っていないお墓だと。とても大きな衝撃を受けて、その時、父に「難民」という言葉を初めて教えてもらったんだと思います。

この経験が自分の中で、今日の道を選ぶ基礎になったのかもしれないと思ったりします。もちろん、これだけではなくて、学校生活で起こった出来事や、読んだ本などの影響を受けながら、できれば、私なりの方法で、社会的に弱い立場の人達の側にいられたらという気持ちが育っていったように思います。それで、大学4年のときに、国際難民法に取り組みたいと最終的に決めて、卒論のテーマに選びました。でも、大学を卒業しても、すぐに社会に出て何かをやるという気は興らず、大学院に進んでもっと国際難民法を勉強したい、自分なりの難民支援の方法を探したいと思いながら、勉強を続けていったのです。

平本 色々な問題で難民になってしまうという話は記事やニュースで見聞きしています。

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駒井 本当に、ここ2~3年で、「難民」という言葉が報道によく出てくるようになった印象は受けます。シリアから脱出してこられる方々や、ロヒンジャ(ロヒンギャ)の方々の報道も、多いですよね。特に、お子さんを含む、シリアから脱出してこられた方々の悲惨な境遇などが広く報道されて、国際社会で、「難民問題を、他人事として目を背けていてはいけない」という声が高まっているように感じます。つい先ごろも、難民と移民の大規模な移動に関する国連サミットが開催されましたよね。

また、日本国内でも、最近、ネパールやコンゴ民主共和国、ウガンダ等から逃げて来られた方々が、裁判所でその難民性を認められる、勝訴判決を得たとの報道がありました。

日本は、多国間条約である「難民の地位に関する条約」や「難民の地位に関する議定書」に加入しています。そして、国として「難民」を保護すると約束しています。これらの条約において「難民」とされている人たちは、大まかに申し上げますと、政治的意見、人種、宗教を含む幾つかの理由で、迫害を受ける危険があって、その危険から逃れてきた人々、若しくは、これらの危険のために帰れない人々などをいいます。そして、後ほど詳しく申し上げますが、日本では、「守るべきこれらの人々」をきちんと保護していないのではないかと、強く批判されることが少なくありません。

ただ、私が難民の為に何が出来るかを考え始めた頃は、難民問題が日本で報道されることが、今よりずっと少ない時代でした。でも、幼い頃の体験もあり、彼らの問題に何とか関わっていきたいという思いがどうも頭にこびりついて、当初は、研究者か国際公務員になろうかと考えたりもしていました。


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