Hajime Kinoko(現代アーティスト、緊縛師、ロープアーティスト、写真家)×平本正宏 対談

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Hajime Kinoko(現代アーティスト、緊縛師、ロープアーティスト、写真家)×平本正宏 対談

収録日:2019年2月11日

収録地:東京タワー

撮影:427FOTO

編集:矢本祥子

〈ずいぶん破天荒な人生を歩んできてSMの世界へ〉

平本 今日はこの対談の前に東京タワーで撮影をしました。Kinokoさんが東京をイメージする場所として、東京タワーを選んでくださったのですが、その理由をお聞きしたいと思います。

Hajime 東京をイメージする場所で一番最初に思い浮かんだのが東京タワーです。幼少期の、東京のイメージは東京タワーというのがまだ残っていて、大人になってもそのイメージが自然と出ているんじゃないかなって思っています。そういった感じで、東京といったらここですね。成人になってからも全然変わらないんですけど、名古屋にいた頃も東京タワーが東京のイメージでした。最近の東京のイメージだったらスカイツリーだと思うんですけど。

平本 確かに、いま、幼少期を過ごしていたら、東京のイメージはスカイツリーになっているかもしれないですね。僕は、スカイツリーよりは東京タワーのほうが、フォルム、その佇まいが好きですけど、いまの子供達はどうなんでしょうか。

東京に出て来て生活するようになったのはいつぐらいなんですか?

Hajime ハタチぐらいの時です。_DSC0229
Hajime 僕、高校を卒業してから1年半くらいカイロプラクティックの学校に通っていて、そこでインターンをやり残してやめちゃったんです。最後の半年間は色んな整体院で働くインターンだったんですけど、カイロプラクティックの整体自体は免許がなくてもできる、国家資格がいらないので、学校の中でのことはあまり関係ないから、実際に現場でやることの方が重要なんです。だけど、なんていうのかな、整体院ってお給料がすごい安かったんです。それで、人生を長い目で見て、自分が安定してカイロプラクティックで食べていくためには、やっぱり先にたくさんお金を稼いで、カイロプラクティックの腕のあるやつを雇って、その人に習いながらやった方が早いと思いました。

そして、色々なご縁で、東京に来て、SMバーの店長をやることになりました。

平本 ということは、雇われ店長のような形で働かれたのですか?

Hajime そうですね。21、22歳くらいの時ですね。フェティッシュバーでした。SMバーよりももっと幅が広い。


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