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東京を巡る対談 月一更新

粟田大輔(美術批評家)× 平本正宏 対談 「東京」を形作る条件

様々な分野の精鋭たちと、それぞれが持つ最も「東京」を感じる場所を訪れ、対談を行うドキュメントシリーズ。記念すべき第1回は美術批評家の粟田大輔氏を迎えた。粟田氏にとっての東京とは、そして、平本の「TOKYO nude」はどのように映るのか。

収録:2011年3月23日

収録地:大森北グリーンベルト(JR大森駅徒歩5分)

撮影:moco

<グリーンベルト構想>

粟田 この場所は「グリーンベルト」と言うんですが、昔から子どもの遊び場で、夏には盆踊りなども行われる多目的スペースとして使われています。実際、私もここから歩いて2、3分のところに住んでいたのでよく遊んでいましたし、小学校の頃に地域清掃活動で掃除をした思い出もあります。

    グリーンベルトという名称は、おそらく1939年(昭和14年)に策定された東京緑地計画のなかのグリーンベルト構想から来ています。当時の東京市外周に環状緑地帯を設けるという計画で、日本のニュータウン構想の先駆けとなったものです。

    ニュータウン構想は、19世紀末にエベネザー・ハワードによって都市と田舎を融合させる田園都市構想が提唱され、イギリスでは第二次世界大戦末期に大ロンドン計画(Greater London Plan of 1944)が立案されています。日本でも1956年に首都圏整備法が制定されて、それに基づいて「首都圏整備計画」が策定されている。

    ところが、たとえば「南多摩レポート」(1964)というものがあるんですが、こちらはむしろ新住宅市街地開発を優先する多摩ニュータウンの主張で、当時の住宅難の状況下で首都圏整備計画と対立し、その結果、第一次計画が見直された経緯にあります。

    グリーンベルトの基本的なヴィジョンは、首都圏を緑地で環状に取り巻き、その外側にニュータウンをつくること。しかし、経済成長に伴う都市の拡大のスピードに呑み込まれて、結局その構想は頓挫してしまった。代わりに、現行のニュータウンが郊外に開発されていったわけなんですけれど、ここは言わばニュータウンの落とし子みたいな場所なんですね。

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