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東京を巡る対談 月一更新

粟田大輔(美術批評家)× 平本正宏 対談 「東京」を形作る条件

<関係の複線性の開示>

粟田 録音の方法を教えてください。時間はどれくらいで、どのように録音されているんですか。

平本 20分ぐらい。レコーダーを1か所においてずっと待ってるんです。

粟田 100か所っていうのは、さきほどの『東京スタディーズ』以外に具体的にどんな場所があるんですか。

平本 この本をヒントに行ったのが20か所ぐらいです。残りの70か所は、さっきも話したように、音響的な特性を重視して、こういう条件の音が欲しい、といった具合にして決めていきました。

    たとえば青梅街道の4車線道路で音を録ったなら、次は6車線、次は高速道路というように、車が走っているという条件のヴァリエーションを変えていくわけです。そうすると、同一線上に別の響きを見つけられる。ほかの例で言うと、上下2線しかない駅と、いくつもの路線が乗り入れている新宿駅とで、録る音に変化をつけられます。

粟田 音のレイヤーが何層も重なったところに私たちは生きていて、東京は、そのレイヤーの重ね方が当然ながら複雑ですよね。

平本 複雑であり、また、短い距離の間にレイヤー構造がすぐ変化もします。総武線で三鷹から新宿に出るまでのたった20分の間に、音響条件というか、レイヤーの重なり方は目まぐるしく変わる。こういうことが、東京の到る所で起きる。このような条件変化の速さや激しさにも注目していました。

    また、それとは別に、新しい建物が建ったり、逆に以前からあった建物がなくなったり、というふうに街が持つ時間的な流れにおいても、音響条件が変化しているなと感じます。

粟田 自分が抱いている価値観や振る舞いも、同じように複数のレイヤーで規定されている。たとえば、一般的に美術館に行って作品を眺めることだけが「美術」の見方だと思われているところがあるけれど、それはひとつの振る舞いに過ぎない。それが複線的なもののなかのひとつのラインであることを認知させるような仕掛けがもっとあってもよい気がします。

平本 表現との接し方のパターンが少ない?

粟田 パターンはなくはないんですが、それが一般的にはたどりにくい状況にあるので、もっと複数の動線があらわになるといいのかなと。

平本 パブリック・アートは、そういう発想と近くはないですか。

粟田 変わりつつあると思いますが、パブリック・アートの場合も、アーティスト個人の世界観に終始してしまっているケースが少なからずあります。それ自体は別に悪いことではないんですが、その関係はまだ、送り手と受け手の関係が単線的なんですね。

平本 アートが開かれているか開かれていないかという差はどこに現れるんですかね。

粟田 いや、開く開かないという話ではなくて、条件を互いの関係のなかで開示するようにする、ということです。その際に、やはり解析するという行為が重要性を持つんだと思います。

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