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東京を巡る対談 月一更新

粟田大輔(美術批評家)× 平本正宏 対談 「東京」を形作る条件

<「東京」の音の解析>

粟田 平本さんは「東京」を音楽にするにあたって、こうした条件について何か考えていましたか。

平本 東京が音を通してどう見えるか、そのことが最初はよくわかりませんでした。だから、実際にいろいろな場所でフィールド・レコーディングをしてみたんです。すると、収録できた音は、人の声だったり車の走る音だったりと、意外にその構成要素には変化が少なかった。新宿で録ろうが、吉祥寺や上野で録ろうが、人の声は人の声だし、車の音は車の音です。

    けれど、その音の響いている空間は絶対に違うわけで、その音響的特性に焦点を当てることで、「東京」を音として作品にしていけるんじゃないかと思いました。

    実際、収録した音をスペクトラム解析してみたら、収録場所によって周波数帯域が違うわけです。歩いている人の数とか、地下とか、そこにある建物の構造とか、様々な条件によって響きが違った。

粟田 生の音を録るにあたって、場所の選定のしかたはどういうものだったんですか。

平本 まず、東京を捉えようとしたときに、東京全体を象徴している街、つまり、ここに行きさえすれば東京に行ったことになる街がなかったんです。それは分散しています。六本木ヒルズにも新宿駅前にもお台場にも、それぞれの東京がある。このように、分散化して一点に絞ることのできない東京の街のひとつひとつを、訪ねてみようと思ったんです。

粟田 グリーンベルトやニュータウンの構想も、まさに都市を分散化させるためのシステムだったわけです。東京中心部への都市機能の集中を避けることが意図され、計画されたもので、これらの構想の果てに、現在の「東京」の分散化があるんだと思います。

平本 ですが、そういう街は数え上げると10から15ほどしかない。そこで、都市社会学者の若林幹夫先生に相談に乗ってもらい、彼の共著書『東京スタディーズ』(紀伊國屋書店、2005年刊)を読みました。その本に、東京の街の側面が紹介してあったので、これを参考にいろんな視点でからの東京を拾っていったんです。

粟田 具体的に言うとどんな場所ですか。

平本 たとえば、映画、文学、エスニックといった様々な条件別にみた「東京」が本で提示されていて、それをたどったり、あとは、環状線の先にある郊外都市と呼ばれる町田なんかにも行きました。

粟田 町田はまさに、多摩ニュータウンの一画で、さきほどの新住宅市街地開発法によって開発された街ですね。

平本 実は僕、町田で生まれたんですよ。6歳ぐらいまで過ごしたので、町田の印象というものが自分のなかに確固としてあるんですが、その記憶のなかにある町田と、郊外都市として発展しているいまの町田とは結構違いました。駅前にデパートはいくつかあるけど、ちょっと離れると住宅街が広がっている、というのが記憶のなかの町田です。で、20年経って行ってみると、風俗街と結婚式場が近接していたり、プチ秋葉原のような所があったり、ごちゃごちゃした街になっていました。それが気持ち悪くも、面白かった。

    外から来る人には気持ち悪いんだけれど、住んでいる人達にとっては、住み分けのラインがどこかにあるはずなんでしょうが、ともかく、一本の道を挟んで、街の様子ががらっと変わる、そういう異様さに、東京全体の縮図を感じました。情報がそこに集約されているような・・・。こういった発展の仕方もまた面白く思いました。

粟田 ほか特徴のある場所だと、どこを回ったんですか。

平本 郊外とは言い切れないですが、国立にも行きました。この街は、駅を中心にして放射状に並木道が伸びていて、一橋大学がデンとあり、周辺に高いビルが建てられないようになっている。

粟田 興味深いのは、平本さんがさきほど言っていたスペクトラム解析ではないけれど、情報を走査、解析するツールや技術が飛躍的に向上している点だと思います。それによって、これまで読み取られなかった情報が開示される。「東京」の別の表れへと結実する可能性がまだまだ潜んでいる気がします。

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