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東京を巡る対談 月一更新

若林幹夫(社会学者)×平本正宏 対談 未来の遺跡TOKYOから見えるもの

若林幹夫(社会学者)×平本正宏 対談

収録日:2013年1月18日

収録地:国際展示場駅〜臨海副都心

対談場所:ホテル日航東京ラウンジ

撮影:moco

<『TOKYO nude』から2年後のTOKYO

平本 僕のファーストアルバム『TOKYO nude』を作るときに、「東京を音楽にしたい。でも、どうやって東京を捉えていけばいいだろう」と悩んでいまして、それで若林先生にご相談したのがお会いしたきっかけです。そのときに著作である『東京スタディーズ』をご紹介頂いて、映画や文学で扱われている東京の音、東京の色々な場所での音の特徴に注目するようになりました。あのとき若林先生にお会いしていなかったら『TOKYO nude』という作品ができていなかっただろうと思っています。

Tekna TOKYOという僕のレーベルを作って2年が経とうとしていまして、今回の対談は2年目の最後の対談になります。『TOKYO nude』をリリースして2年、ここで改めて東京について若林先生と考えられればと思っています。そして、この対談から年内にリリースしようと思っている電子音楽作品のヒントも手に入れることができたら、なお嬉しいです(笑)。

若林 なるほど(笑)。

平本 2010年から2011年のはじめにかけて作った『TOKYO nude』から2年経過して、東京も大分印象を変えたと思っています。地震にまつわる一連のこともありますし、人々の東京に対する接し方も変わってきました。“いまの東京”について若林先生がどう考えられているのか。

また、今日ご一緒した国際展示場駅からの道のりはかなり面白い、不思議な空間でした。レゴブロックのような、ゴッサムシティのような現実味を感じさせない建物や、外見はハリボテで、まるで中身を想像できないシェルターのような建物(ヴィーナスフォートなどのショッピングモール)で構成され、それらの建物の中に街が作られている。これらの建物を見たときに、もし自然災害などがあって東京を作り替えなくてはいけなくなったら、もしかしたら東京はこういう建物と建物を行き来する街になってしまうんじゃないかと思ったんです。

いま東京で“一番新しい街”な訳ですよね。今日歩いて回ったところはどこも、人は外にほとんどいなくて一見ゴーストタウンのようです。ところが建物の中に入ると擬似的な街があり、人が沢山いる。街って言うのは、建物が建ち並び、人々が行き来する“外界”を指すと思っていたんですが、ここではその考えは通用しない。街が変わりつつあるのかなと思いました。

若林 つまり、街なんだけど、街が無いんですよね。建物はあって、その内側に街のシミュレーションみたいなものはあるんだけど、建物と建物の間には街は無くて、ただ空間がある。ノーマンズランドというか、空虚な空間がひろがっているじゃないですか。だから、臨海副都心って言っているけど、都心的なものや副都心的なものってほとんど感じられないですよね。

もし東京が壊滅的な被害にあって街を作っていくときに、こういう風になっていく可能性が無いわけではないですよね。ただ、必ずしもそうではないとも思います。

都心にすでに既存の地区やインフラなどの色々なセッティングがあって、その外側にこういう場所がポコッとできた。そうすると、車やゆりかもめのような既存のインフラに乗ることでアクセスできるから、中間の空間は無くてもいい訳ですよね? そういう空間と都市のシステムにもう乗っかって、それを前提にした上でできているわけだから、それが全部壊れちゃったときにこういう生き方でオーケーかというと、そうではないんじゃないかと思います。

平本 なるほど、そうですね。いままでの東京像があるからこその、この街が成り立つ部分があるということですね。

そうなると、益々この臨海副都心が外に持つ街の形骸化を感じます。建物の周辺空間がほとんど利用されないということは、例えば公園を散歩したあとにカフェで読書してといったような街の中の空間を人々が行き来することが無く、ただ目的地であるモールに直接向かい、そこで用事が終わったら去るというような、点と点の行き来でしかなくなる。

若林 “まち”って「町」という字と「街」という字があるじゃないですか。僕は人が行き来する場所を指すときは「街」の字を使うんですけど、あれって“ちまた”っていう意味ですよね。“ちまた”って人が行き交う場所なんだけど、そうするとここはそういう意味での“まち”は無いっていう感じですよね。

平本 空間に導線が無いというのはこんなに不思議な印象を与えるんだと思いました。

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