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東京を巡る対談 月一更新

若林幹夫(社会学者)×平本正宏 対談 未来の遺跡TOKYOから見えるもの

<TOKYOと向き合うことの変容>

平本 僕、はじめて恵比寿に行ったのがガーデンプレイスだったんです。小学生のときで、お袋が、ガーデンプレイスができた早々に見に連れて行ってくれて。それで、駅から繋がっていて、その間も街の景色がガラスの向こうですよね。恵比寿って日本じゃないみたいな、近未来感というか、異国感みたいなものを味わいました。

で、別の機会に今度はガーデンプレイスじゃない出口を出たら、普通の街があったんです。あれっと思ったら、どうやらこっちが歴史ある恵比寿だとわかり、なんか拍子抜けしました。恵比寿ってガーデンプレイスの世界観の街だと思い込んでいたので(笑)。

その記憶からも感じることですが、駅と直結しているということがこういった施設にとって重要な役割を果たしている気がします。土地の歴史や世界観を見せないことで、その駅のアイデンティティ自体がその施設にあるように錯覚させるというか。特にこの臨海副都心の施設は、内側にしか街が無いので、ここがどういう土地かはっきり知らないまま過ごしてしまう。実は今日の今日まで、こういう土地だとは知りませんでした、外を歩く必要がありませんので。ショッピングモールが導線と一体化することで、土地の上に立つ外の街への視線を削いでいくなと感じます。

そうすると逆に気になることは、いま東京に住んでいる人は東京とどう接しているんだろうということです。

若林 そうなんですよ。それで、「東京に接している」という表現を使っていいのか、ということが多分ありますよね。例えば、ヨーロッパの昔からある街だったら、広場があって、何かあると広場に人が出てくるじゃないですか。学生時代にヨーロッパ旅行したときにイタリアのシエナだったかな、急な雷雨があってバール(bar:喫茶店)でコーヒー飲んで雨宿りしてからお店を出たら、ものすごくたくさんの人が広場にわーっとたむろしている光景を見たことがあって、この人たちにとって街って何なんだろうって思ったんです。街っていうのは、出て行って人と会って話して、コーヒーを飲んで、お酒を飲んで、歌ったりする場所なんだなと思って。

その後にサルトルがアメリカに行ったときのルポルタージュを読んだんですけど、アメリカの都市の街路って街道の延長だと、でもヨーロッパの街路は居間の延長なんだと書かれていたんです。だから、都市って言うのはひとつの家みたいなもので、その居間が広場だったり、カフェだったり、道自体がそういう空間だというのはなるほどなと思ったんです。

そういう文化だと都市と接するっていうのは、街路とか広場とかで同じ街を共有している人たちと会って話をして、挨拶をしてと、そうすることが街と接することなんだと思うんです。その規模が大きくなると、自分の街のサッカーチームをみんなで応援したり、ということになると思うんですけど、東京ってそういう街の接し方ってできなくなっているんだと思うんです。東京都内のレベルでもそれは難しいかなと。ニューヨークだったらマンハッタンってやっぱり狭いでしょ。その中で自分はニューヨークに暮らしているってある種のイメージを持つことはできると思うけど、東京って言うのは任意の場所を自分で選んでエディットをすることによってでしか経験することができない。

これは別に僕が思いついたことでもなんでもなくて、昔僕が都市について考え始めたときに内田隆三さんっていう社会学者が「現代思想」に書いた文章で村上龍の文を引用していたんですよ。村上龍が言っていたことは、“自分は都市っていうものがわからない、街しかわからない。街っていうのは駅前にタバコ屋があって、赤電話があってというレベルならわかるけど、それを超えた都市はなんだかよくわからない”っていうことで、それが都市っていうものなんだなと。

でも、それを超えたところで、例えばタイムズスクエアに行こう、ワシントンスクエアに行こうっていう場所があって、そこで繋がりが確認できるような場所があればいいんですけど、東京っていまそういう場所はあるかな?

平本 そうですね。観光名所化する建造物はどんどん増えていく印象なのに、東京のアイデンティティを感じる場所は見当たらないですね。東京に対する意識が一本化していない、分散してしまっているというか。皇居ももう違いますし。

若林 戦後のある時期までは皇居や日比谷公園で集まって集会するということはあったけれど、そういう集結の空間っていま無いですよね。集結は意味が強すぎるかもしれないけど、あそこに行ったら東京の“いま”を感じられるっていう場所が無いですね。

たぶん80年代の渋谷って、若者の文化の世界だけだったかもしれないけど、そういう感じがまだあった。あるいは60年代から70年代にかけての新宿。これは吉見俊哉さんが『都市のドラマトゥルギー』の中で書いてますけど、新宿に行けば面白いものに出会えるという意識があった。僕が高校、大学のときは渋谷に行けばっていうのがあったと思うんですよ。でも、その後は109とか。


(吉見俊哉著『都市のドラマトゥルギー』)

 

で、話題の場所っていうのはあるんだけど、それは消費されていくスポットになって、要するに「まっぷる」や「るるぶ」とかでみんなに知られている場所であって、この場所に行くとこの街の現在が感じられるというのではない。むしろ、「この街の現在」という言葉自体があまり意味を持たなくなってしまっていると思います。

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