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東京を巡る対談 月一更新

ヤマザキマリ(漫画家)×平本正宏 対談 時代を行き交う透視図法


ヤマザキマリ(漫画家)×平本正宏 対談

収録日:2012年10月15日

収録地:赤坂

対談場所:赤坂

撮影:moco

<60年代に入り込んでいたら>

平本 僕はずっと『テルマエ・ロマエ』のファンで、それこそ1巻が出たときから愛読していたので、今回の対談は『テルマエ・ロマエ』の話を中心にしようと思っていたんですけど、先日マリさんの最新作『ジャコモ・フォスカリ』が発売されて読んでみたら、これが何とも僕の心をくすぐったんです。で、急遽予定を変更して、この『ジャコモ・フォスカリ』の話を聞いてみたいなと。

ヤマザキ そっちの方が私は嬉しいです。

平本 『テルマエ・ロマエ』がそろそろ終わるということも聞きましたし。

で、『ジャコモ・フォスカリ』の世界観は60年代じゃないですか。僕は大学に入ったばかりの頃に60年代の文化芸術の動きに憧れて、60年代に自分がいたらとか、いまが60年代的な動きの時代だったらと思ったくらいだったんです。音楽でも現代音楽が世界中で作曲されて、僕がものすごく影響を受けたジョルジ・リゲティやクシシトフ・ペンデレツキや日本では武満徹が活躍して、大好きな安部公房がガンガン新作を書いていましたし。


ヤマザキマリさんの最新刊『ジャコモ・フォスカリ』

ヤマザキ それは私と気が合いますね。私もホント自分が生まれてくる時代を間違えたんじゃないかと常々思っていて、もし60年代にいたらもっと私はいろいろな触発を体を張って受けて、もっとすごいエネルギーが湧いてたんじゃないかと思っています。そう思う? やっぱり?

平本 思いますね。あの時代って戦後から大体10年ちょっと経って、日本をなんとかしようという雰囲気が国全体にあるじゃないですか。日本の現代音楽でいうと、武満徹、黛敏郎をはじめとする作曲家が色々なところで新作を発表していて、そういうのを聴きに行ってエネルギーをもらうみたいなことがあった気がするんです。

ヤマザキ 安部公房の映画の音楽も全部武満さんがやっているでしょ。いいんだよね、それがまたね。

平本 日本の現代音楽を世界が認めていた部分もあったし、あと安部公房に関していえば、自身が持っていた劇団の<安部公房スタジオ>で上演する作品の音楽は途中から自分で作っちゃうんですね、EMS synthi Aっていうかなりカッコいい音の出るシンセサイザーをつかったりして。作曲家として安部公房がどうだったかは置いておきますが、ただ、相当の電子音楽、ノイズミュージックフェチだったんだと思います。

ヤマザキ そうそう。だから昨日(2012年10月14日)の朝日新聞に書いた安部公房のことはあれしか書けなかったけど、あの人の仕事場ってグッチャグチャで機械フェチで、すごいことになっていたんですよ。シンセサイザーフェチ、変な音楽作るんですよね(笑)。

平本 安部公房が死後に発見された未完の作品『飛ぶ男』で、ワルター・カーロス(著作の中では性転換後の“ウェンディ・カーロス”の名前で登場)の電子音楽作品「スイッチト・オン・バッハ」が出て来て、そのときの作品説明がまた詳しいんです。

ヤマザキ ピンク・フロイドも好きなんだよね。

平本 かなり好きだったみたいですね。遺作とされている『カンガルー・ノート』ではピンク・フロイドの「エコーズ」のことに触れていますし。そういえば『カンガルー・ノート』の文庫の解説はドナルド・キーンが書いていますね。

ヤマザキ ゴミだめの写真撮るのも好きだったり。あのひとは全身全霊でそういうものに対する好奇心、愛情があったんでしょうね。

平本 安部公房、武満徹、磯崎新とかそういう人たちが分野に関係なく結びついて、影響を与え合ったり、時には面白いことを画策したりしていた。そんなのがうらやましいなと思っていました。

ヤマザキ 本当にあの世界には入り込んでみたかった。それこそ、色々な人の対談を読んでみて、文芸雑誌など好きなので昨今のものをいろいろ読みますけど、あの時代のものってグレードが違うんですよね。安部公房と石川淳とかの対談を読むと、ものすごく深くて濃くて、だけど読み手を疎外しない、読者を導き入れる喋り方がなされている。今みたいに凝り固まった中で自分たちの好きな対談をしているんじゃなくて、振り幅が広くて自分たちの世界が広くないと成立しない、そんな印象を受けます。

それは対談だけじゃなくて、もの作りの方にも出ていて、篠山さんの作品もだし、武満さんの音楽もだし、映画にしたって。研ぎすまされた美意識を感じるんです。日本だけでなくもちろん海外も、60年代の映画やそのサントラにも感じますね。

平本 あのときにあった実験精神って、確立された美意識が既にあって、その上での実験のような気がするんです。ただの実験ではなくて、そこにはクラシカルなものが染み付いた体からの脱却であったり、面白い新しいものを手に入れたいという好奇心だったり、そういうものをヒシヒシと感じる。

ヤマザキ 曖昧な気持ちのまま試行錯誤して、そこで何か出てくるものがあったらそれでいいやっていうそういう浮いた感じがない。最初っから濃さの密度が。試行錯誤に至るまでのこの人達の下積みって何なんだろうと思いながらも、それを感じさせないスタイリッシュさがあるんだよね。

平本 わかります、わかります。

ヤマザキ 服装とか雰囲気にもそれは現れていたと思う。

平本 僕は大学時代一番影響を受けた作曲家がリゲティで、本当に何かあればリゲティの作品を聴いていたくらいなんですけど、僕の好きなリゲティ作品「アトモスフェール」や「レクイエム」が作られたのが大体50年代終わりから60年代までなんです。そして、その作品たちが大きな影響力を持った時代でした。

ヤマザキ 60年代というよりも50年代の後半からですよね。私、ブラジル音楽がすごく好きなんですけど、ボサノヴァという音楽が派生したのがちょうど1950年代後半くらいで。ちょうど同じ頃にキューバ革命があったりとか、『黒いオルフェ』っていう私の大好きな映画ができたりと、色々なことがこの辺から少しずつ軌道が変わっていって、そこから焚き付けられるようにみんなオシャレになっていったり、哲学的になっていったり。

安部公房の文学にしても、三島由紀夫の作品にしても、あの辺りからじゃないですか、生産性も上がってすごいものがジャンジャン出て来たのって。それまではね、安部公房は貧乏が反映していたり、社会主義思想の傾向が強いものもあったりしたけど。その頃から余計なものがどんどんそぎ落とされて、彼独自のノイジーな感じの作品になったのはあの頃ですもんね。

平本 だからあの頃に生きていたら面白かったんだろうなって思うことはありますね。

ヤマザキ 面白かったと思う。私も1967年生まれでギリギリ60年だけど、そういうのって記憶にある訳じゃないじゃないですか。でも、それだけでも誇りに思えるというか。でも、その時代に青春をしていたかったと思います。

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