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東京を巡る対談 月一更新

ヤマザキマリ(漫画家)×平本正宏 対談 時代を行き交う透視図法


<『ジャコモ・フォスカリ』の60年代>

平本 その時代にもの作りをしていたり、ものを作り始める年齢だったらって思いますし、あとその60年代的な流れって70年代をちょっとすぎるとポツンと無くなるじゃないですか。音楽でいえば、60年代散々難解な現代音楽をみんな作っていたのに、70年代になるとミニマル・ミュージックがメインストリームになったり。反対に60年代頭のビートルズの登場から10年経って、ロック、ポップはかなり盛り上がってくる。ピンク・フロイドが売れ出したのも70年代の頭ですし。

ヤマザキ やっぱりちょっと傾向が変わりますね。日本は高度経済成長でお金にみんな巻かれていく印象がありますよね。60年代はまだみんなお金を信用していなくて、お金が動いているものをものすごく客観的に見れている人が多かった。でも70年代になるとそれが減っていっちゃうんです。カラーテレビの普及も進むし、60年代はそんな普及率じゃなかったはず。

マスメディアがあまり力を持っていなかったということですよね。それまでは新聞読む、雑誌を読む、それくらいのものじゃないですか、あと映画。その後テレビの浸透とコマーシャルとそういったものが軌道に乗って来て、三島の自決がテレビで報道されたり、それによって三島の捉えられ方が変わったり。

平本 そういうところにポップ音楽産業がくっ付いているから、それでみんなが聴く音楽とテレビが結びついて、結局は商業的に売り上げの高いものに回収されていったり。

ヤマザキ 映画だって、テレビの方が主体になっていっちゃうから。

今だと、1960年代っていうものの温度差がはっきり感じられるじゃないですか。だから、脳内イメージならタイムスリップできるなと思って、『テルマエ』なんかもそうだけど、そうやって自分の好きな時代の方に行く訳だけど。

平本 そんな60年代を描いている『ジャコモ・フォスカリ』を書こうと決めたのはいつ頃なんでしょうか?

ヤマザキ ねえ、御茶ノ水の駅前に音楽喫茶ウイーンっていうのが昔あったの、多分平本さんのときはもうないと思うんだけど。歴史的な音楽喫茶なんですよ、もう15年とか20年前に無くなったんじゃないかな。私そこの最後の時期にバイトしていたんですよ。

平本 そうなんですか!!


ヤマザキ クラシック音楽をリクエストによってかけてくれるというところで、建物全体が喫茶店で螺旋階段の5階まであるというところで。ちょうどそのとき御茶ノ水のアテネ・フランセに通っていて、学校のあとにそこでバイトしていて。御茶ノ水の駅前だし、私の家族がクラシック音楽をずっとやっていたから環境的に自分に合っているなと思って。そこがまあ、雰囲気のいいところだったんだよ。本当に昭和の雰囲気を切り取ったようなところだったの。他が変化していってもあそこだけは変わらない、取り残されたようなところで、来る人もおじいさんとか昔っからクラシック音楽が大好きで来ている人とか書生崩れの人とか、ちょっと不思議な空間だったんですよね。

で、そこの話が書きたくなってね。でもそれだけじゃなんかなと思っていたら、編集者の方が「ヤマザキさん、もっと幅広げていいんですよ」って言ってくれて、そのときフッとドナルド・キーンさんのことが頭に浮かんで。キーンさんって完全に日本の傍観者であり、でも日本に帰化して日本人の部分を持っている、そういった面で私は日本人だけど、シンクロする部分があるなと思う部分があって。ただ、残念ながらあの時代を見ていた訳ではないから。だから、キーンさんがうらやましいなと思う部分もあって、あのマンガを書いてみたくなった。

それで、ドナルド・キーンとなると三島も安部公房もセットだから、そのうち大江健三郎に似た人も出てきますよ(笑)。大江さんは本当にラッキーでリアルタイムでお会いすることができて。

平本 フランスでお会いしたんですよね? 福耳を触らせてもらったというエピソード付きとかで(笑)。

ヤマザキ 「あーっ、僕耳コンプレックスなんだよ」とか言われちゃって(笑)。まあ、『ジャコモ・フォスカリ』ではその周辺に付随する人たちを出すことができたらいいなって思っています。

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