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東京を巡る対談 月一更新

ヤマザキマリ(漫画家)×平本正宏 対談 時代を行き交う透視図法

<創造と都市の相関関係>

平本 ものとか人とか、自分以外の何かとの関係が無いと自分を見失ってしまう、古いものが簡単に無くなり、次々と新しいものにアップデートされていく東京という街は、自分1人がここにいるということを証明しづらい街なんですね。

ヤマザキ 周りときちんと付き合っていかないと自分が透明人間になっちゃうんで。周りが教えてくれるんですよ、「あなたこういうひとよ」って。そういうのが都市の持つ究極的な性質ですよね。

平本 マリさん、世界の色々なところに行っている中で、その性質って東京独特だと感じますか?

ヤマザキ 独特ですね。確かにアメリカにもそういうところはあります、例えば私の今住んでいるシカゴなんかも色々な意味でアンドロイド化してしまっていて。ただ、それは日本とはまた違った性質ですね。アメリカは、人情とか人とのコミュニケーションは無くてもいいという国になりつつあるんじゃないかと思う。無くても結果を出せればそれでいいという感じですね。

平本 それは国のシステム的にですか?

ヤマザキ もう実力主義の社会なんです。この間、シカゴで25年ぶりのストライキがあったんだけど、それは教員たちの教育法の改定に伴うストライキで、今後全国統一テストを受けたクラスの生徒の成績によって、先生のグレードを決めるっていうものへの反対だったの。生徒たちの成績がいいとその先生もいいとされる、つまり、金八先生みたいな先生が絶対成立しないということなんです。

平本 へえ、もう成績があげられるかどうかだけで、いい先生か判断されると?

ヤマザキ そう。もう機械ですよ。子供たちにも先生たちにも機械になることを求めている。成績ダメだけど、あの人はいいよね、っていうことはなくなるわけ。こんなことがどんどん進化していったらどんなことになるかなって。ちょっと怖いですよね。

その対極にあるのがヨーロッパであって。うちの旦那なんかが言っているのは、普通に買い物に行って、普通の会話をするということができない社会には暮らせないって言っているんです。昔だったら、たとえばお豆腐屋さんに言って「こんにちは」って必ずしゃべらないと買い物が成り立たなかったけど、いまなんかひと言もしゃべらずにできる。今もうお店やさんに入って「いらっしゃいませ」と言われたからって「はいどーも」なんて言わないじゃないですか。それで、そういう環境の中で、透視図画法的に自分を見ていかなくちゃいけないなんて、大変で。

平本 そうですよね。下手したら自分が今生きていることすらどう証明したらいいかわからないときがあるかもしれませんからね。

さっき日本では書けないってマリさんがおっしゃっていましたけど、創作について都市との関係もふまえてどう考えているんですか?

ヤマザキ 『テルマエ・ロマエ』の前は、リスボンで発想が浮かんだんですね。リスボンっていうのはヨーロッパの中でも特に風化していくものに手を加えないところなんですよ、お金が無いって言うこともあるんだけど。イタリアなんていうのは、漆喰がはがれたら体裁気にしてすぐに直すんだけど、リスボンは雨風に吹かれるままどんどん消えていくんじゃないかっていう雰囲気を保っている街なんですよ。

そこがすごく居心地が良かった(笑)。人も何もかもいずれなくなるものじゃんっていうのがあって、自己主張を無理して誇示するところが無い街だったんですね。で、老人たちが息づいていて、人間って生き物ってこういうものだからっていうのが自然に感じられるところで。『テルマエ・ロマエ』の前に書いた『ルミとマヤとその周辺』は昭和40年代が舞台なんですけど、今じゃ存在しない人情があったんですよ。その人情がリスボンには未だにあるんです。だから、外に出る度に昭和を思い出すわけ。

平本 ということは、ポルトガルの地にいながら、古き良き日本を思い出していたんですか?

ヤマザキ はい。裸電球1個の八百屋さんとかで、大した商品も無いけどそこのおじちゃんと会話して、勧められたバナナを買って帰ったり、1日中公園にいるおばあさんやおじいさんのとなりに座ると「中国人?」と聞かれて「日本人です」って答えると、「あなたたちの言葉には沢山ポルトガル語が入っているの知ってる?」みたいな話をしたり。

それで、フッと今の日本を書こうとは思わないけど、昔の日本なら書けるかもって思って。今のところ私は、マンガに投影しているのは全部古き良き日本なんですね。だから、『テルマエ・ロマエ』の1話目も実はあれ今の日本じゃなくて1970年代の日本なんですよ。これわかっている方少ないんですけど、1話目だけ先頭に貼ってあるポスターが“男はつらいよ”だとか“スターウォーズ”だったりとか。

今の時代、いきなり外国人が風呂場にバシャって出て来ても親切にしてくれる人がいるかどうかわからない。みんな見て見ぬ振りでしょ、たぶん。

平本 外国人慣れもしていますしね。

ヤマザキ だから映画化されて今もみんなおじさんたちが人情深い平たい顔族だと表現されちゃっているけど、そこは猜疑心を持っているね。だって私、実際倒れている人がいるのに無視して歩いている人たちがいるところをみたことあるもん、東京の中で。どうして助けてあげないんだろうと思うんだけど、倒れている人自身も「大丈夫ですから」って言っていたりして。コミュニケーションが無くなっているよね。

そうそう、1969年の映画に『真夜中のカーボーイ』っていうのがあるんだけど見たことある?

平本 あ、ないですね。

ヤマザキ 絶対好きだから見てみて。ダスティン・ホフマンとジョン・ヴォイト、主題歌はハリー・ニルソンなんだけど、安部公房好きは絶対に来るから。1960年代の殺伐としたニューヨークで捨てられた2人がどう生きていくかっていう話で。

で、『ジャコモ・フォスカリ』ではもう日本をほめることはやめて、『真夜中のカーボーイ』の殺伐としたニューヨークじゃないけど、人情深い日本人が生きている反面、70年代に繋がっていく団塊の世代から出て来たノンコミュニケーションの傾向が現れる瞬間を書こうと。

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