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東京を巡る対談 月一更新

ヤマザキマリ(漫画家)×平本正宏 対談 時代を行き交う透視図法

<安部公房の魅力>

ヤマザキ まあ、とりあえず、安部公房さんっていうのは、私がイタリアに行っている間に自分を救済してくれた存在というくらいハマった人なので。

平本 じゃあ、日本にいるときではなくイタリアに留学してから読んだんですか?

ヤマザキ そう、最初はイタリア語で読んだんですよ。『砂の女』のイタリア語版を読んで、何だこれはと思って、日本から彼の作品をいっぱい送ってもらいました。で、読んでいるうちに、メジャーなものよりも初期のもの『けものたちは故郷をめざす』なんかにハマっちゃって、それ以外に彼が書く論文的なエッセイ、随筆なども。

彼が書くことに共感することがすごく多くて、キーンさんも国籍やアイデンティティが曖昧な人だったけど、安部公房もそうでしょ。三島はポジションを日本に置いていたけど、安部公房は日本で生まれて満州で育って、帰って来たら自分の居場所が無くなっていた。辺境というものに対する彼なりの見解が露出するような作品が出てくる。帰ってくると自分の国籍があるところなのに、もう相容れなくなっている、客観的に見えてしまう。そういう意味で安部公房の書く日本って言うのがものすごく私にはわかってね。

平本 僕、安部公房が書く日本を一番感じたのは『燃えつきた地図』なんですね。特に映画になったときにその感覚は強く現れたと思うんです。東京という土地が、はじめは当たり前のものとして立ち現れていたのに、最後のシーンでは砂漠化、自己がどこにいるのかを喪失させてしまう街へと変わっていく。確か勝新太郎の勝プロが制作した映画なんですよね。監督は勅使河原宏ですが。

ヤマザキ 都会で自分を見失うとか、いろいろな訳の分からない人が入ってきて自分の存在が無くなるとか、そういうのをテーマにしているけど。まさに東京の都会の中の透視図というか、『燃えつきた地図』ってそんな感じじゃないですか。

平本 頭や体の中で当たり前だと思っていることが、少しずつ失われて変容していく。いきなりすべてが無くなるって言う状況は結構現実的なんですが、一連の流れの中で少しずつ失っていくというのは、当たり前のものが当たり前じゃなくなっていく異様さを感じるじゃないですか。

ヤマザキ いきなり見えなくなるんじゃなくて、透明になっていって見えなくなっていく感じね。

平本 そうすると結果的に自分自身を見失う。マリさんが新聞で紹介された『方舟さくら丸』をはじめ、安部公房作品の芯にありますよね。

ヤマザキ 『方舟さくら丸』の最後も透明になりますよね。本当にあの人の目にそういう風に写っていたのかなって思うし、私みたいに東京っていう密集地帯にたまに帰って来てみると、よりいっそうその感覚って言うのがリアルに感じられるよね。中に入っちゃって、みんなとワーってやっているうちは気づかないですよ。フッと1人になったときに、なんかもう『燃えつきた地図』の状態になる。

平本 東京って変化がものすごく大きいじゃないですか。それこそ工事をしていない地域が全く無いと言ってもいいくらい、常にどこかで建物が壊されて新しいものが建てられている。中には六本木ヒルズみたいに、大規模工事の末ランドマークが新設される場合もありますし。

ヤマザキ かき消していきますよね。そんなに昔が残ることがみんないやか? と思うくらい。

平本 極端かもしれませんけど、10年もその姿を保持しないですよね、東京。

ヤマザキ だって自分が知っていた店なんか残っていないもん。喫茶店ウイーンも残っていないし、実家の周りも全く何もかも変わってしまった。この進化の仕方はヨーロッパには無いのよ、アメリカにも無いのよ。アメリカなんか一所懸命やるんだけど、無理感が伝わってくるの。お金の持つ無理感って言うのが。日本みたいにサラッとやっていないんですよ。なんかやっているけど、途中で止まるよなとかそんな感覚がアメリカではするしね。そういう感覚に立ち会える訳でもないからものすごく東京には飲み込まれるんです。ぐわーっとマスに。で、気づかなくってそれが当たり前だっていう目線になっていっちゃう。

だから本当に日本に来るのは楽しいですよ。ご飯も美味しいし、みんなとワイワイやれて楽しい。ただフッとやっぱりここに長くいると自分は書きたいものとマッチングしなくなっていくなっていう感覚はすごくするんですね。

私は17で出ちゃっているんですね。それこそアイデンティティが曖昧なうちに、日本語も確立しないうちにイタリア語でコミュニケーション取るようになっちゃったりとか。あと古いものが当たり前で、人間を考えるときは横軸じゃなくて縦軸で物事を見ていくっていうのが当たり前な。私は死んでいる人と付き合っている方が長い感じがします、書物を読んだり、絵を見たりね。古代ローマなんかのこの世に居ない人との接触の方が多い訳だから。

平本 そうですよね。『テルマエ』に出てくる人物なんかはほとんどがその素性は定かでないですもんね。

ヤマザキ そうですよ。だから自分の想像力を駆使しないと成立しないような人間と会っている中で、やっぱり東京にたまに来てうわーっと、この前秋葉原のサイン会で来てくれた150人なんかを見ていると、『燃えつきた地図』の気持ちになるんですよ。

平本 安部公房があのときに書いたことっていうのは結局、東京というものに呪縛的にある性質なのかなと思います。未来永劫、そこからは離れられない宿命というか。

ヤマザキ そうですね。一連の傾向として、そのあとの『密会』もそうですし、『箱男』もそうですけど、代表作は全部そういった傾向にあるじゃないですか。でも、考えてみたら『壁』のあたりからね、自分というのはどこにあるんだろう、人に映さないと自分が見えないっていう透視図方式のものをね。鏡に映しても見えない。なぜなら本当の鏡っていうのは他人であって、『他人の顔』なんかはそういうのをストイックに反映していますけどね。

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