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東京を巡る対談 月一更新

粟田大輔(美術批評家)× 平本正宏 対談 「東京」を形作る条件

<改変可能な「楽器」>

粟田 平本さんの手法は、音を採取し、解析し、加工するということでしたが、その後の作曲の方法について聞かせてもらえますか。

平本 まず、採取した音の周波数を見るわけですが、この音は800ヘルツぐらいが強いとか、458ヘルツぐらいが強く出ているとか、そういうことがわかります。で、たとえば、その強かった周波数を強調してあげる。そうすると、その部分が大きく聞こえるようになります。こうやって前面に出るような音を仕上げて、それをもとに全体を加工していきます。これで音響的特性が際立つのですね。

    けれど、加工の仕方はほかにもあって、ひとつの収録音から作ろうと思えば、何百種類も作れる。だから、この作業はかなり人為的と言えます。魅力があると思えるような音を作っていくと、300から400ぐらいの加工音のファイルができる。それを使って作曲するんです。この工程を含めると、作業工程は、全4段階になるわけです。

    この最後の作曲段階までくると、その音がもとはどの場所で収録されたかということなどは忘れてしまいます。1段階前の、加工された音のみに意識を集中する。

粟田 作曲するときは、それらの音がどのようにオーケストレーションされるかという視点で行われているわけですよね。ということは、第3の加工段階での、音質の特性を強調してフィルタをかけるような作業は、ある意味で、「東京」を楽器として捉えていると言えませんか。「東京」が持つ音質の幅をひとつの楽器のように圧縮させて、演奏させるというのが、第3、第4の工程なのではないかと思いました。


2010年2月24日トーキョーワンダーサイト本郷での「TOKYO nude (movement)」コンサートの模様
撮影:森下友加里

平本 「楽器」という表現はすごくしっくりきます。たとえば、ヴァイオリンはヴァイオリンであるという条件を超えられないんですよ。ヴァイオリンを弾きながらピアノの音を出そうと思っても当然出せませんよね。演奏者は制約された楽器という条件を最大限活用するわけです。言い換えると、演奏者は楽器というものを超えられないが、楽器のなかで様々に表現することはできる。

    それが、今回やったことに非常に似ています。20分の録音で一度たりとも同じ瞬間はない。だけど、そこの音響条件は絶対に変わらない。この音響条件という決められた枠内で物事が生起するその流れから、特定の周波数に基づきつつ、収録した場所固有の「楽器的」な音を抽出したかった。この抽出作業において、楽器が顕在化してくるんです。

粟田 ヴァイオリンひとつとっても、そこには多大な「知」が集約されていますよね。ただ、どうしても「弾く」という行為が慣習化してしまう感もあります。興味深いのは平本さんの場合には、改変可能というか画一化されない要素を含んでいる。こう考えると「楽器」をいかに批判的にデザインしていくかというスタンスが見えてきます。

平本 僕のやっている、データとして音を録ってきてコンピュータ上で加工する方法が、そのひとつの解答例かもしれません。そこで生まれた新しい楽器のようなものが、ヴァイオリンがかつてそうだったように、多くの奏法を生み出したりすることもある。

    東京のいろんな場所で録ってきた音からいくつもの楽器を作り上げ、その楽器の数々を集結させることで、曲ができあがった。今回のアルバムは、そういうものだという気がします。

    言ってみれば、今回の作曲は、オーケストラに必要な楽器を揃えたようなものです。だから、次には、そのオーケストラを使ってどういう新しい表現ができるかを考えていかなきゃならない。

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