<生活や自然の底に横たわるもの>
平本 ちょっと作品の話に戻りますが、會本さんの絵ってすごく音をイメージするんです。音だから口で説明するのは難しいんですが、ここではない世界の日常の音というのでしょうか? 想像の領域なので実際にこういう音と具体例を示すことができないのですが。
そういうことは意識されていますか?
會本 意識はしていないです。ただ、旦那さんが勧めてくれた世界中の民族音楽を集めたCDにすごく感動して、それは自分が表現したいことに近いと思って聴いています。哀歌や喜びの歌などを集めたものでしたね。その影響も出ているのでしょうか。
うまく言えないですが、悲しい曲、明るい曲といっても悲しさや明るさを通り越したものがあるような音と言うんでしょうか。
平本 その地域や民族の生活に密着した印象ということでしょうか? 民族音楽ってその大部分は伝承音楽で、それぞれの部族や村に代々何百年、すごいものだと2千年以上にわたって伝わっている。そして、1年の生活を通して、婚礼、葬儀などポイントごとに音楽が設定されているんです。
そうなると表面的な表現以上に、土着の血が支えてきたような壮大な表現を感じる。民族音楽を聴くっていうのは、音楽の1ジャンルというよりはそこにある人間の生活を聴かせてもらっている気分になるんです。
會本 そうですね。だから惹かれるのか・・・。前に絵を見てくださった方で私の絵を好きだと言ってくださった方が「會本さんの絵は怖い感じがするのだけど、その怖いは海や山や夜の暗闇が怖いという感じに近い」と伝えてくれて、嬉しかったのを覚えています。何となく、いまの民族音楽の話に通じると思っています。なんでだろう・・・。 人が亡くなったらこの歌を歌う、結婚したらこの歌を歌う、そう昔から決まっていて悲しいとか嬉しいとか表現するとかじゃなくて、ただただ歌う、奏でる。そうして、生きていく感じ、を民族音楽には感じます。暗闇は怖い、そうなんだ、怖いんだ、って知っていくような感覚・・・でしょうか。
平本 そういう感性、感覚が絵に盛り込まれているのかもしれませんね。
會本 自分で意識しているわけではないですが。そういうものが含まれているならいいな。
平本 音を感じる絵っていうのは意外に少ないんですよ。今日お話しを伺っていると日常生活での愛着であったり、磨いてきている感覚の全てが絵に注ぎ込まれている印象です。
會本 そうなんでしょうね。作品はその人そのものですよね。だから怖い。全部でてるでしょうね。他の人の作品を見ても、絵と絵描きさんが同じ感じというのはよくあります。目つきとか服装で誰の絵かはわかる。バレバレ、です、だから私自身もまわりから見たらそうなんだろうから、恥ずかしい!とも思う。
・・・自分の生活に愛情を持たなくてはと思います。「何か」への突き抜けた愛情の伝わる絵がやっぱり好きだから。
平本 今日、撮影場所に吉祥寺を選ばれましたが、その理由は?
會本 撮影をお願いしたあの場所、あんな駅前で下に人がゾロゾロいるのに、ビルの位置や窓の位置関係で誰もここにいることに気付かない。それが東京という感じがしたのです。
平本 不思議な場所でしたね。偶然なんでしょうけど、1時間くらいいて全く人の視線を感じませんでしたから。
會本 お客さんこないですね・・・困りますねえ・・・(笑)。来てくれたお客さんで、「4階にあるのに地下みたい」とおっしゃった人がいてなるほどと思いました。手を大きく振ったり、踊ったりしても(笑)、誰も見ていないことが痛快になってくるんです。
平本 臭い言い方かもしれませんが、東京を象徴しているような雰囲気がありますよね。開けていて全部見渡せて、人の気配も感じるのに誰も見ていない感じ。
會本 やっていることもマニアックですし。私は千葉出身なのですが、自分の住んでいたところだと大手のチェーン店ばかりが目立って、個人商店では面白いところがなかったんです。
東京は小さいお店が面白いじゃないですか。「softs」はその代表で、私の大好きなお店ということもあって。
平本 この景色が見られるのは「softs」に行く楽しみの一つになりますよね。
そうそう、大友克洋さんのAKIRA的な景色だと思うんですが、大友さんは来店されたことはありますか?
會本 ないです・・・! 「softs」、1回見てもらえたら嬉しいですね。旦那さんは大友さんにあこがれて育ってきて、影響は受けているんじゃないかな。物件を見た時もそのイメージも少なからず心のどこかにあってここに決めたと思いますので。
平本 じゃあ、ぜひ大友さんに来店して頂きましょう! まずは大友さんと知り合いましょう(笑)。
會本久美子(イラストレーター) Kumiko Emoto