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東京を巡る対談 月一更新

中山寛子(スタイリスト)× 平本正宏 対談 あるスタイリストが「裸」に辿りつくまで



<着る人に溶け込む服>

平本 篠山さんと出会って、ほかにどう変わられたかお聞きしたいです。

中山 それまで洋服を見ていたのが、人を見るようになりました。洋服ははっきり言えば何だっていいのよ。たとえ20年前のTシャツだって、着る人に似合ってればいい。着飾っているものを削ぎ落とさないといけないと思うようになりましたね。

平本 そうなってくると、当然、撮影のための準備のしかたも変わりますよね。

中山 ファッションの場合は、頭から爪先までの全体像をすべて把握して現場に行きます。だから、着ているモデルの人間性はあまり問わないわけ。

ところが篠山さんだと、揃えた服はほとんど無視されて、モデルに対して「裸足になれ!」「服のまま水のなかに入れ!」ですからね(笑)。頭で考えてきたことが覆ってしまって。

それが、その場その場で対応するのに慣れてくると、服が重要なのではなく、その人の持っている個性を引き出すこと、そうして、「どうだっていい」とか「いい加減」ってことが一番大事なんだと気づきました。

だって、ファッション業界の人間以外は、服にこだわることはそんなにないでしょう?

平本 そうですね。もちろん自分の好きな服の雰囲気はありますが、普段気にするのは、暖かくなれるかどうかなどの機能性が大きかったりしますしね。

中山 そう。それで、服にこだわりすぎることが、却って服を殺すことに繋がるんじゃないかと思いました。

平本 逆説的ですね。

中山 服が目立つと、着ている人が消えちゃう。そうじゃなくて、服が印象に残らないぐらいの方が、その人に溶け込んでいることになるから、良いわけですよ。

引き算をしていって、最終的には人間で一番美しいのは裸だよね、と行き着いてしまいました。

平本 「digi-KISHIN」(http://shinoyama.net/)においても、裸になっていく過程が美しいという思想がありますよね。

中山 そうそう。女の子にしたって、いきなり裸になってと指示されても心を開かないでしょ。モデルは、シチュエーションも何もわからないのに裸になってもやりようがないと思うの。それって凄く重要なことです。

最初から、肉体だけを撮るつもりならそれでいいんだろうけど、そうじゃなく、その子の持っている優しさや激しさを撮りたいんだからね。

その子の個性をどう表現するかを考えて服を選ばなければならないわよね。個性の邪魔にならないような。

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