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東京を巡る対談 月一更新

中嶋一貴(レーシングドライバー)× 平本正宏 対談 レースが奏でる<音楽>を聴く

<音とリズムで理想の走りを超える>

平本 さっきリズムを掴むということを言われていましたが、それは車と一体化するようなリズムの掴み方なのでしょうか。

中嶋 そうですね。車は物理で出来ているというか、計算である程度出来てしまう世界なので、最後に計算以上のものを出すか出さないかがドライバーの仕事なんです。理想の走りというのがサーキットごとにあって、それを再現して行くことが仕事になっていきます。

それを再現するために音から来るリズムは大切です。例えば、コーナーを曲がる時にどのポイントでブレーキを踏むか。消火器など目印になるものが景色の中にある場合はそれを目標としますが、目印になるようなものがない場合は、エンジンの上がり方、その音でブレーキを踏むポイントを見つける。そういう音でのリズムの作り方もあるんです。

平本 へえー!!

中嶋 あとはギアを落とす時、シフトダウンする時のエンジンの音はなんて表現したらいいかな。エンジンを煽(あお)りながらギアを落としていく、その落とすタイミングによって車のちょっとしたバランスが変わってくるんです。それによって曲がりやすくも曲がりにくくもなる。

だから、頭の中でイメージトレーニングするときは、音をイメージしながら、このタイミングで落とすと言うことを想像します。そういうなかで体に染みついてしまっていることを少しずつ変えていくようにしたり。

目で見る景色を再現するというのはちょっと難しいこともあるのですが、音だと再現しやすい。だから、頭の中でエンジンの音をイメージしながら、景色を見ようとしますね。それほどに音がないと走りづらいので、電気自動車はまたかなり違った感覚が必要なんだろうと思っています。

平本 音に頼る部分が多いということですね?

中嶋 音を基準としているところは多いと思います。

平本 そういう話を伺っていると演奏家的な感じがしますね。演奏は譜面が決まっている同じ曲を何回もリハーサルするのですが、ものすごくうまくいった時と全くダメな時があるんです。それはある程度のクオリティを持った演奏家でも同じです。

それで、うまくいく時というのは、演奏行為そのものが音楽と一体化するような、演奏家が音楽の中に入ってしまって全ての行為が音楽化してしまうような印象があるんです。体のアクションが音の流れから逸脱しないんですね。

つまり、例えばヴァイオリンの弓の動かし方やピアノを弾く手の動かし方など、演奏している間の全てのアクションが計算されたかのように音楽の中に収まっていく。このこと、いま伺った話に似ているなと。

レースをしているというのは交響曲を演奏しているような感覚なんじゃないかと思いました。

中嶋 近いと思います。音楽も楽譜があってそれを元に始めるというのなら、レースも計算で理想の走りをあらかじめ提示されている。だから、そのライン通りに行く、行かないというところが自分たちの仕事であるわけです。

車も左右への動きなど、盛り上がりがあるので、演奏する人達の感覚にすごく近いと思います。それを繰り返しているわけですから、準備をしないといけない。理想のラインを考えながら運転しているのはよくないんですよ、音楽で言うと楽譜を見ながら演奏する感じでしょうか。

自然と運転が自分の感覚とピタッと一致するのがいい時、すごく演奏と似ているんだろうなと思います。

平本 音楽でも100%のプランニングみたいなことが楽譜や事前の練習などの形であるとしたら、それを多少逸脱したとしても、それまでに体の中にしみこませた感覚を信じて、その場の空気に合わせて即興的にいい方向に行く道を見つける方が、結果いい演奏になると思います。

ホールや劇場など、会場によって空気感やお客さんの雰囲気は全然違いますから、集中力をもって細かく対応していくといい結果が導かれる。逆に元々のプランに引っ張られると、結果プランの半分の出来にもならなかったりしますね。

中嶋 音楽も聴かせる場所、人達によって色々な空気感がありますよね。レースもその時その時で走るコンディションが同じことは1回もない。温度や路面のきれいさにしても、毎回ちょっとずつ違うので、ある程度の理想はあっても、その都度自分で調整しながら走らないといい走りには繋がらないというのはあります。

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