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東京を巡る対談 月一更新

太田垣悠(ダンサー)× 平本正宏 対談 阿佐ヶ谷に立つ表現者の客観視

<クラシックへの「違和感」>

太田垣 ところで、「TOKYO nude」というタイトルにしたわけを聞きたいんですが。

平本 2009年に篠山紀信さんが『NUDE by KISHIN』(50年にわたるNUDE PHOTOをリミックス編集した写真集)を出した頃、飲み屋で「ヌードいいよね〜」なんて話してて……。

太田垣 そもそも、なんでヌードがいいの?

平本 身に纏うものは時代で変化する。だけど、その変化にさらされないヌードを被写体に置くと、背景としてある時代の不条理さみたいなものが際立つ感じかな。

太田垣 ニュートラルなものとしてのヌードなわけか。

平本 そう。ニュートラルなんだけど、背景が侵蝕してくるから、時代が浮き上がる。そのようなことを篠山さんに聞いて「かっけぇな」と。

その流れで、篠山さんは「『東京』がかっこいい」とも仰っていて、それで東京を意識し始めた。影響大ですね。それまで、「土地」を切り口に音楽を作ってみようという発想がなかったから、その言葉は新鮮だった。

で、やり始めたはいいものの、なかなかいい音楽が作れなくて、迷い、街をさまよいながらレコーダーを持って音を採集して、あとでコンピュータでいじってみたらいい音ができちゃった。

太田垣 あえてノイズだけの音楽を作ろうとしているわけってあるんですか。

平本 以前の対談でも話したことだけど、高校生くらいのときに作曲することに違和感がずーっとあったんです。なんか窮屈というか、囚われることの多さというか、そういうものをいつも感じていた。

そんなとき、映画『AKIRA』のサントラ、芸能山城組が作ったガムランで使われるジェゴグとかブルガリアコーラスとかお経の入った音楽を聴いた。このお経が引っかかって……。


芸能山城組 映画「AKIRA」のサウンドトラック

お経ってさ、五線譜じゃ書けないでしょ。それがかっこよく感じたの。つまり、五線譜がモヤモヤの原因だった(笑)。ドレミとか、拍とか小節が嫌だったんだって分かったんだよ。

それから、大学に入ってすぐに舞踏を観に行って、最初にかかった曲が「ゴーーー」っていう、リズムもメロディも、和音もないノイズだった。で、こ・れ・だ、と。

太田垣 私も似たような経験があって、子供の頃からクラシック・バレエに憧れてずっとやってきたのに、どこかで上手くいかなくて、コンテンポラリーに向かいました。

平本 クラシックへの違和感はいつぐらいから?

太田垣 違和感というほどでもなかったけど……13、14歳くらいのとき。コンテのビデオを見てると想像力をかきたてられて、ドキドキハラハラさせられるものがあった。

平本 コンテンポラリーへ行こうと決意させた作品はありますか。

太田垣 フランスの女性振付家、マギー・マランでしたね。

彼女の「シンデレラ」(「サンドリヨン」)で、全員がグロテスクなマスクを被ってて、すごい気持ち悪いシンデレラなのよ。それを見て、綺麗事じゃない、真実がそこにあると思った。そういう表現がやりたいんだ、と感じたんです。

この作品は、結局、リヨン・オペラ座に入って最初に踊ることになりました。

平本 みんな仮面を被ってるのは凄いね。ストーリーは普通?

太田垣 筋書きはだいたい普通なんだけど、設定が人形の世界のなかの話なんです。だから装置も人形の家の形だし、出演者全員が人形のようなマスクを被ってるの。ただ、継母はじゃがいもの腐ったのみたいな顔してるし、シンデレラの髪がピンクだったり、人形に見えるように素肌の部分に綿を詰めてたり……、グロいんだなぁ。

平本 それをリヨンで初めて踊ってみて、どんな印象だった? ビデオで見たときとの違いとか。

太田垣 全く違ったよ、もちろん。

踊りのテクニックとかそういうものよりも、どれだけリアルに「人形できる」かとか、顔以外の部分で役の表情を出せるかとか、が大事だから。

マスクを被って踊るのはお能みたいなところがあって、お面の本当に少しの角度の違いによって、喜んで見えたり悲しんで見えたり、気持ち悪く見えたりするんだよね。

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