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東京を巡る対談 月一更新

小高登志(神田まつや5代目)×平本正宏 対談 人と文化が行き交う交差点



<人の縁が結ぶもの>

平本 「まつや」のある神田は小高さんにとってどのような場所ですか?

小高 お店は神田の須田町の交差点の近くですが、昔は都電のハブステーションだったんです。人の出入りもたくさんありました。今の銀座4丁目の尾張町の交差点より須田町の交差点の方が人の行き来が多かった。関東大震災があり、ウチの祖父がお店を買ったんです。当時はあそこが東京の中で一番の繁華街でした。その突き当たりの万世橋に甲武鉄道の駅がありましたから。だからそういう点では、昔は賑やかな場所だったんですよね。









須田町の通りでは、何かお祝い事があると、綺麗に飾られた花電車が動いていて、各々の家では知り合いを呼んで、2階からその花電車を眺めながらお酒を飲んでいたそうです。当時は東京中で花電車が動いていたんです。この間もお客さんとそんな話をしましたね。

平本 まつやさんは本当にいい場所でスタートされたのですね。

小高 栄えてましたよ。ただ売っているおそばは他の人にまかせっぱなしだったから、ウチの母方の祖母がこんなまずいおそばを売ってちゃダメだって言ったことがあるんです。それでウチの祖父は今梅屋敷にある藪さんの先代だった関谷さんという方に頼んで、ウチでやってもらったんです。

まあそれなりにおそばは売ってたんでしょうけど、今から考えるとやっぱり全然違いましたね。私は、藪さんに教えて頂いた時に鰹節が倍でびっくりしましたから。鰹節が普通のおそば屋さんの倍ですよ。しかも鰹節そのものも良い鰹節を使っていますから。

あれは教えて頂けなかったら、自分で試しても倍まではいかないですよ。最初から倍だって教えてもらえればすぐ出来ますけど、自分一人で倍の量まで到達するとなると、えらい時間がかかっちゃいます。そういう点では私は教えて下さる人が沢山いたので最短距離でいかせてもらいました。だから藪さんには足を向けて寝ることはできないんです。

平本 今日お話伺っててしみじみ思いましたが、人と人のご縁がお仕事される上でとても大きいことを感じました。

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