<人に愛されているということ>
高橋 東京に来て一番最初に思ったのが、ああ、人に愛されていない街なんだなということ。東京出身の人に言うのは失礼なんですけど……。
渋谷、新宿とか仕事で動くところは殺伐としているところが多かったから、四国との決定的な違いやなと思った。最初上京した時はここでやっていけるのかなと思ったけど、段々と下町の方に行けば行くほど東京の良さや、人が街を愛して作っているぬくもりを感じることができて、こういうところに住みたいなと思うようになった。やっぱりしばらく住んでみないと分からないですね。
平本 震災があって、自粛もあるんだけど商店街から宣伝の声や音楽とか、激しさや賑やかさを喚起するものが消えた時に、街に出てフィールドレコーディングをしたんですよ。ちょうど震災から1週間後くらいかな。
そうしたら、街から人がいるという音が聞こえてくる。もちろんそれまでも人はいたんだけど、スピーカーから出てくる宣伝音が大きすぎてかき消されていた。渋谷のセンター街なんてノイズミュージックさながらのカオスだったんだから。
でも震災後、電気を排除した瞬間に商店街に人の声と足音だけが響く。これを聞いた時に、いままで実は全然必要じゃない情報が溢れていたんじゃないかと実感した。この人の気配が音で感じられる街こそが、街本来の音なんじゃないか。そして、それは心を揺らす何ともいとおしい音だった。
高橋 それはすごいね。本来はこっちだもんね。
平本 いつのまにか人間本来の土地に上乗せが大きくなってしまって、とうとう上乗せばかり目立つようになってしまったけど。
いまネットやユーチューブが身近になって、世界中の人が同じ曲を聴くことができるけど、これだっておかしな事態だよね、実は。
高橋 私もそう思う。茨木のり子さんの詩で自分の感受性くらい自分で守れという詩があるけれど、そうだなあと思っていて。
平本 詩とか音楽って、書いた本人と受取手が全然違う解釈でリンクしたりするでしょ。自分に置き換えてこう思ったという話を聞くと結構面白かったり。
高橋 それを聞くのはお客さんから直接?
平本 曲を聴いてもらって話すと、こういうイメージだったと言われることがある。それは僕のと全然違ったりするんだけど、その人は納得していて自分の人生とリンクしてくれている。それは有り難いなと思う。
1月に限定1000部で発売された高橋久美子さんの作品集『家と砂漠』
高橋 思うね。人によってはどの詩が好きかというのは違うけど、挫折していた時に私の詩を読んで変わりましたという感想もあって、こっちの方がありがとうございましたと思ったりする。伝わるというのはすごく嬉しい。
徳島の展覧会に四国や全国中から色々な人が見に来てくれたり、徳島で会った人が次の展示会場の松山にまた来てくれたり。展覧会って、作品を通して、人と人が出会うことなんだと思いました。自分の作品とお客さんの出会いにプラスして、自分もそこに居合わせてもらうということで出会いもたくさんありました。人と人との出会いの中で、その人の人生があるということを感じました。
年齢の違うお客さんが私の作品と出会って、いろいろな感想を言ってくれました。お気に入りも違えば、響く詩も人それぞれ違います。
それで、結局年齢は関係ないんだなと思いました。もちろん人間って成長していきますが、考えていることはずっと一緒なんだと。根本の悩みとか、人間と人間の関係は普遍的なものなのではないかと思ったんです。
平本 そういった共鳴は羨ましい。自分の作っている曲が5才から80才までかっこいいって思ってくれたら、それはすごくいいなと思う。
共鳴できる人の確認が出来たのは大きいね。
高橋 大きいです。愛情が伝わるというのは大きいと思います。
高橋久美子(作家・作詞家) Kumiko Takahashi
1982年愛媛県生まれ。鳴門教育大学卒業。
元、ロックバンド・チャットモンチーのドラム、作詞担当。
現在、作詞家・作家として活動中。
主な著書に、詩画集『太陽は宇宙を飛び出した』(FOIL)、写真詩集『家と砂漠』
(自主・販売終了)
小説『セブンティー行進曲』(毎日新聞社・本の時間1、2月号)などがある。
高橋久美子HP:http://takahashikumiko.com/
また、2010年より画家、白井ゆみ枝と続けてきた詩と絵の展覧会「ヒトノユメ展」が
来年夏長野で開催される予定。
ヒトノユメHP:http://hitonoyume.com
撮影:moco http://www.moco-photo.com/