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東京を巡る対談 月一更新

Tekna TOKYO Cyclone 1 / 平本正宏「Tekna TOKYO Cyclone 1を終えて」

<平本正宏「Tekna TOKYO Cyclone 1を終えて」>
聞き手:寺嶋潤

1)TOKYO nudeはその誕生(=inception)よりライブやリリースといった節目で変化があったかと存じます。つきましては、Computer Qurtetとしてのライブ、次にアルバム・リリース、そしてTTC1、各節目にて作曲家としてどのような変化があったか、もしくはどのような変化を求めたかを教えてください。

そもそも、TOKYO nudeプロジェクトは、写真家の篠山紀信さんとの対話がきっかけです。

2006年からdigi+KISHIN (http://shinoyama.net/) という篠山さんの写真・動画・音楽を用いたヴィジュアル作品の音楽を担当することになり、ミーティング、食事、お酒といろいろな場で、幸運にも篠山さんの考えていることや写真およびdigi+KISHINでやろうとしていることを聞くことができました。

で、やはり、篠山さんといえば「東京」と「ヌード」。50年にわたって撮りつづけていて、その人がこの2つの事柄に興味が尽きない、面白くてたまらないと話してくれるわけです。東京という街はとにかく時代に左右されやすく、意図しなくても何か異常なものが表出してしまうし、変化しつづけることをやめない。時には大分お酒を過ごしつつ(笑)、東京っていう都市がいかに魅力的かという話を篠山さんと沢山してたんですね。

そのうち、篠山さんが写真でやっていることを、音楽でできないかと思いはじめた。東京を音楽にできないか。そして、やるならやるで魅力的な、ある種の官能すら感じさせるような音楽に仕上げられないか。

そういう経緯があって、曲のコンセプトも決まらないうちから、「TOKYO nude」というタイトルがいいんじゃないかと思っていました。もちろん、篠山さんが1990年に出版した「TOKYO NUDE」を意識して。ちゃんと篠山さんに同じタイトルを使用する許可も取りにいきましたよ(笑)

それで、いざ作るとなったときにどうしようか、と。それまで自分にとって作曲というと、シンセサイザーやコンピュータなどの機材を立ちあげて、いい音を作り、そこからリズムなりドローンなりを組んでいくっていう方法だったんですが、それだけだと「東京の音」とは言えないと感じたんですよね。しかも、曲もないうちから、トーキョーワンダーサイトにおいて、コンピュータ奏者のカルテットで上演することが決まっていたから、なおさら困りました。

とにかく、いままでの作り方と同じでは面白くならないというのがあって、進んでいた作曲を一切止めて、東京に関する本を読んだり、データを集めてみたり、距離を測ったりと色々しました。そうしたとき、都市社会学の若林幹夫先生とお会いする機会があり、「東京スタディーズ」という著作を教えていただいた。その「東京スタディーズ」には、東京を文学や映画、建築など様々な視点からどう捉えられるかが書かれていたので、じゃあ、音だったら周波数かな? とピンときた。

それで、慌てて東京のいくつかの場所の音を録りに行ったんです。はじめはたしか、吉祥寺と新宿と六本木だった気が。録った音をあとで周波数解析してみたら、思ったとおり場所によって音響の特性が違うことが分かりました。あとはただただ色々なところに収録しに行くだけでした。

収録しているうちに、なんとなくわかってくるんですが、こういう場所は800Hzあたりが強そうだとか、東京駅周辺はビルの工事をしているから低音とリバーブが録れそうだとか、録音し、集積したデータを通じて音響の特性を推測することが、途中からできるようになってきました。そして、結局100か所くらいで音を録り、全部で2000分程度たまった。

すると、今度はそれぞれの収録音の音響特性を生かすような加工を行って、その加工した音と音をSuperColliderで掛け合わせたりし、大体500種類くらいのサウンド・ファイルを作りました。それらを使って、ようやく作曲を進めていったんです。もちろん、サウンド・ファイルを作成することと、作曲は同時並行で進めていた。

そうやって完成したのが、「TOKYO nude」の<movement>(「TOKYO nude」の8〜11トラック)です。まずこれを2010年2月24日に、さっき言いましたように、トーキョーワンダーサイト本郷で上演しました。上演の際、ラップトップ4人によるComputer Quartetを組み、ライブ・インスタレーションを意識して、「TOKYO nude」そのものをひたすら壊していく試みをしました。

このときまでは、変な話ですが、コンピュータで作られた曲が、完成したあとに変化しないことに疑問を持っていたんです。ピアノ曲とか、ロックとか、曲ができあがったあとは、演奏者ないしミュージシャンが、その曲を色々な場所で演奏するじゃないですか。でも、ラップトップの曲は、完成したファイルの再生とそのリミックスという方法以外に、あまりパフォームが見当たらない。

そこで、作った曲のサウンド・ファイルを4人に割り振って、それぞれ好きなようにそのファイルをライブで加工してみてもらったんです。つまり、コンピュータで作った曲が、ピアノ曲のようにパフォーマンスによる再現が難しいようなら、その代わりに、できた曲を壊すパフォーマンスをしようというわけです。なおかつ、それはただの破壊でなく、破壊したものを用いて構築していくことなので、東京という都市の変化と相似しているかなと。ただ、少しコンセプチュアル過ぎて、破壊と再構築の関係をもっとヴィヴィッドに出すべきではなかったかという反省はあります。(→次のページへ続く)

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