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東京を巡る対談 月一更新

太田垣悠(ダンサー)× 平本正宏 対談 阿佐ヶ谷に立つ表現者の客観視

<表現の管理者>

太田垣 アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルっていうベルギーの有名な振付家がいるの知ってるでしょ?

平本 ローザス(コンテンポラリー・ダンス・カンパニー)のね。

太田垣 そう。彼女の作品をこのまえジュネーブで見て、すべてを与えないで観客に想像させる演出をしてた。なかなか、そういうことをする人はいない。いまは観客に解りやすくしないと見に来てくれないから。

で、それを見て、平本君の音楽の作りかたに似てるなと思った。間の取りかたとか。

平本 えぇ、それはケースマイケルに連絡を取らないと!

太田垣 取らなくていい(笑)。

別に、平本君の音楽が彼女の作品と直接リンクしてるわけじゃないんだけど、なんていうか、物の創造のしかたに共通点がありそう。どちらも、観客にすべてを明示的に与えることをしないところがそうだし。

ケースマイケルはヨーロッパ的なほとんどわざとらしいと言ってもいいような間の取りかたで、平本君の音楽は完璧なしっくりくる日本的な間の取りかたをする。でも作品全体を見たり聴いたりすると、結果的に同じような時空の漂い方?をする「間」に思える。

平本 じゃあ僕が彼女と一緒に仕事をしたら……って考えるけど、音楽の趣味が全然合わない(笑)。ケースマイケルは電子音楽を使わないでしょ?

太田垣 使わないかも。使うのは、カントリーとかクラシックとか、結構バラエティに富んでるけどね。

それと、彼女のダンスそのものが凄く計算されてるから、平本君の作る計算された音楽とは合わないだろうと思う。すごく個人的な意見だけどね。

平本 ケースマイケルと言えば、はじめて見たのはソロの作品「once」。最後に戦争の映像が映し出されるんだけど、それを見たときに、今さらなんでこんなことやるんだろうって思った。幼少期の思い出を提示するような内容で。

しかも、老いていく自分の身体を意識しつつ踊っている感じだったから、ロマン主義的な要素が強く出てきていて。彼女がローザスで振り付けている作品は好きなものが多いからちょっとショックでした。

太田垣 私もその作品見たけど、ダンサーとしての彼女は嫌じゃなかったけど、表現者としては自己満足して終わってるなー、と思った。

振付家もダンサーも、舞台に立って人に何かを伝えようとするうえで客観的な視点を持つことが大事だと思う。ひとりの人が振付家とダンサーを兼ねてしまうと、「自分の伝えたいメッセージ」と「ダンサーとして舞台上で見せたい自分」の間でその視点が失われやすいのかも。

平本 そのとおりだと思う。自分に対して距離をおくことは重要。作曲家が演奏する際も、妙な興奮の渦のなかに浸っててはいけなくて、常に引いて見ているところがあるべき。

いかに冷静に、音楽をコントロールするかが大事で、音楽の管理者としての責任を忘れたり放棄したりしてはいけないんだよね。

太田垣 こないだ福岡で、武道の日野晃先生の講習会を受けたんですね。そのとき「あんたのやってることは、やってるつもりなだけで、本当はやってないじゃないか」と言われて……。それは今までやってきたことがただの自分の思いこみや陶酔でしかないことを指摘してくれた鋭い言葉で、すんごいショックだった!

平本 僕の作曲の場合は、一度完成させたものを振り返ることはしないんだよね。表現したいことは常に前に進む、投げかけていくものだから、過去の作品は、通過したものとして置いて行かれるんだよ。

だから、自分の作風が定まらないピカソのようなやりかたが、一番僕に合ってると思う。作り手のジャンルを限定してしまうことは、本当の意味で重要ではないんです。それを外から当てはめられるのはい仕方ないとしても、表現者の側で自分を限定してしまっている人がいるなら、もったいない。変化は受け入れるというか、進んで変化していきたいと思う。

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