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東京を巡る対談 月一更新

小高登志(神田まつや5代目)×平本正宏 対談 人と文化が行き交う交差点



<醤油の味が変わってしまって>

平本 そのような時代を経て味を作っていかれて、今の味についてはどう考えていらっしゃいますか?

小高 いま困っていることがありまして、醤油が変わっちゃったんですよ。塩分控えめの風潮で、醤油自体の塩分がどんどん減っちゃってるんですね。だから昔の味を出そうとすると、色々工夫しなくてはいけなくて、なかなか難しいですね。

平本 そういう時代で、昔のような醤油を作っているところなどはないのでしょうか?

小高 もう全部の塩分が下がっちゃっていますからね。だから、一般販売用ではなく、飲食店等の営業用の素材は変えないでくれって頼んでるんですけどね。

平本 本当に日々の自分たちの味付けだけではなくて、今までの醤油とは違ってきた、どこどこの材料が手に入らなくなったなど、社会的な流れも大きく、味付けに関係してくるんですね。

小高 そば粉もそうですよね。昔は堆肥を使って香りの強いものを作っていましたけど、いまはある程度は化学肥料で作りますから、堆肥で作っていたときのようなそばの香りが出なかったり。今ウチではやらないですけど、昔は粉割りといってそば粉と小麦粉を分けて混ぜるんですね。一階で粉割りをすると、二階まで香りが飛んできたくらい、そばの香りが強かった。だから昔は子供はそばを食べられなかったんですよ、そばの香りが強くて。子供は大体うどんでしたね。今のお子さんは小さい時からおそばを食べますからね。例外もあって、池波先生なんかは小さい頃からお蕎麦を食べていたそうですけどね。

平本 それほどそばの香りが昔は強かったとは知りませんでした。私は、物心ついたときから、残念ながら、そばの香りを強く感じた経験はありません。そういう変化はある日突然起こるわけではなく、段々と変化していくものでしょうか?

小高 そうですね、少しずつ変わっていく。そばは栽培方法の変化が大きいと思うし、肥料の問題が大きいと思います。



平本 そもそも植物が育つ元の部分が変わってしまうわけですから影響は大きいと思います。栽培方法や工場の方針が変わってしまうと、必要なものがもう手に入らなくなってしまうことになりますね。そういう時はどのように対策をされるのでしょうか?

小高 なんとか新しく対応しなくてはいけませんよね。中には自分で焼き畑を作って、一からそばを育てる人もいますが、そういう人には勝てないですね(笑)。数出さなくていいならそれでいいかもしれませんが。

平本 「まつや」さんは一日800食作られていると伺いましたが、そうなると小規模にして一から何もかも作る方法とは別のやり方をされる訳ですね。

小高 多い時で1000食になります。今年のゴールデンウィークには毎日のように1000食ぐらい出していたんですよ。うちの場合は一回打つと35食出るんです。つまり30回打つと1000食を超えるんです。30回っていうのは、まだそれほど大変ではないですよ。昔は毎朝もっと大きいのを11回打ってましたからね。お店の人たちは朝2人で打つんですけどね、15回ずつ打たせるんだったら、もみ手がいれば軽く1000食はいっちゃうんですね。

平本 1000食と伺うとものすごく大変な作業なのではと素人目には思ってしまいますが、「まつや」ではそれほど大変なことではないということですか?

小高 お店の人は何の疑問も持たないでやってくれてます、慣れって言うのは恐ろしいですね(笑)。他のお店を見ても1000食打つところはそんなにないと思いますね。ある程度の売り上げ以上になると従業員正社員に大入りを出すんですけど、ゴールデンウィークは毎日出ましたね。ということは、大体毎日1000食は出ていたということになります、もちろんお土産も含めてですけど。大晦日はそれが何千食となるわけですから。

平本 大晦日はどれくらいに出るのですか?

小高 お土産を入れると、7000食ぐらいになるんじゃないですかね。藪さんは機械ですけど1万2000食出したことがあるそうですよ

平本 7000食はすごい数ですね! 驚きました! その日は仕込むのも特別だと思いますが。

小高 それは大変ですね。そば屋の仕事は作曲と違って、変化が無いですから毎日同じような事をやっているんです。高校の時の1年先輩で作曲家の小森昭宏さんがいまして、小森さんのところは家族皆が音楽家と医者が多いんですけど、やっぱり音楽の方が面白いんだって言うんです。なんで?って聞いたら医者でも脳外科は毎日切って縫ってだから魚屋と変わらないと。そば屋はそういう点では、100年経っても同じような事をやってるんです。

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