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東京を巡る対談 月一更新

駒井知会(弁護士)×平本正宏 対談 人の人生を変えていく為の難民支援

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<厳しい現実のなかでも続けていきたい難民支援>

平本 逆に今までそういう現実が明るみに出なかったということですね。

駒井さんがそういった日本の状況を知り、何かしようと動き始めたのは、オクスフォードにいらした頃ですね?

駒井 そうですね。その頃に自分の人生航路に、一度「待った」をかけました。

平本 研究者の道に進むのではなく、ご自身で行動に移そうとした?

駒井 実は、司法試験受験に舵を切るまでに、もう1年ロンドンで悩んでいたんです。そこで、LLMという法学修士のコースを受けながら、人生どう歩いていくべきか、悩んでいました。その後日本に帰って、東京大学の指導担当の教授のところに行って、博士課程へ進むのか、どうするのかと聞かれて、司法試験を受けるつもりですと答えました。その教授は、私が博士課程に進む方向で考えてくださっていたようで、意外だ、と思われたようでした。若気の至りと言いますか、その時は、弁護士として自分に出来ることがあるはずだと思い、実務の世界に飛び込もうと決心していました。

平本 すぐに弁護士にはならないで、研究者の道を進みながら色々考えていたのですね。

駒井 日本に帰国してからは司法試験の勉強に生活を切り替えましたが、本当に大変でした。日本の法律を、ほぼ初めて学びましたから(笑)。猛勉強しました。その後、司法試験に合格して、司法修習という修業の期間を経て、弁護士になりました。最初は、横浜弁護士会(今の神奈川県弁護士会)に入りました。外国籍・無国籍の方々の人権問題を熱心に行っておられる弁護士の先輩方がおられたので、普段扱っている事件以外に、事件を御一緒にさせてもらい、たくさん勉強させていただきました。また、難民支援をしておられる弁護士の先輩方にもお目に掛かることができ、学ばせていただきました。

平本 駒井さん以外にも、難民支援を専門にされている先生がいらしたのですか?

駒井 難民支援を専門にすることは、殆ど不可能に近いことです。真面目な話、難民事件だけをやらせていただいても、生活をしていくことが難しいですから。ですから、多くの弁護士たちは、他の分野の事件をやりながら、懸命に難民支援に取り組んでいるんですね。私は、かなり多くの難民認定申請者の方々を担当させていただいております。ただ、やはり難民認定を取ることは、この国にあっては極めて難しい中、苦悩する難民認定申請者の方々と5年、6年付き合っていく歳月、決して楽しいことばかりではないので、やってて、精神的にも苦しい場合があります。ですが、それでも続けていきたいと思っています。

平本 そういった厳しい中でも難民支援をやめないでいる、駒井さんの支えになっているものは何ですか?

駒井 そうですね、そんな厳しい問題であっても、人から感謝されると嬉しいということです。

難民認定申請者には、収容施設に入れられている人たちも大勢います。例えば、本当に危険な迫害から咄嗟に逃げてくるときに、たまたまいちばん最初に取れた「観光ビザ」で日本に入国しようとして、所持金が少なくて「観光目的でない」と空港で見破られ、「難民です!助けて!」と叫んでも、そのまま収容されてしまう難民認定申請者もいる。日本に入国するはしたのですが、出頭して難民認定申請して、万一、難民として認められないで送還されると「殺される」という恐怖に苛まれて、オーバーステイになってもなかなか入管に出頭する覚悟がつかず、結局、逮捕されてしまう人もいます。

収容施設の中では、外部との連絡が厳しく制限されますので、難民性を立証する証拠を集めることは、外にいる申請者たちと比べて、ますます困難です。でも、収容の問題はそれだけではありません。体調を崩しても、医師の診察を受けるのに1週間以上待たされることも珍しくない世界なのです。十分な医療を受けることもないまま亡くなってしまう被収容者もいます。また、いつ身体収容が解かれるかも分からない上に、下手するといつ送還されるかも分からない、そういう絶望的な収容生活の中で、自傷行為を行う被収容者、ハンガーストライキを行う被収容者が後を絶ちません。この国にあって、この種のニュースが報道されることは多くないですが、それでも最近、少しずつ報道されるようになってきました。

平本 そのような事件が報道されるようになった背景には、難民を支援する動きが認知され、形になってきているということですか?

駒井 そうですね。弁護士達がというよりは、支援団体の活動が実を結びつつあると思います。収容施設の環境面では、先日、イギリスの入管収容施設の見学に行き、日本の入管収容施設とのあまりに違う環境をこの目で確かめて、驚嘆しました。

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