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東京を巡る対談 月一更新

中園晋作(陶芸家)×平本正宏 対談 溶けて流れて生まれるもの



<当初は色の魅力に惹かされて>

平本 学生の頃は創作活動はされていたんですか?

中園 はい。その時はオブジェがメインでした。

平本 オブジェの素材は何なんですか?

中園 同じく陶土です。その時は器ではなく、どっちかというと彫刻的なものを作っていました。大きな手を造って、指先に穴を開けて花瓶にしたり。色が好きなんですよ。抽象画等を見ていても、何を描いているのか、というよりも色の面白さに惹かれる事が多々ありました。でも当時はその感覚が陶芸制作と結びついていなかったような気がします。

平本 なるほど。当時は分からなかったけど、今の作品に行き着くような感覚や発想はその頃からあった訳ですね。

中園 かもしれないですね。

平本 そういう感覚や発想って、よくよく探ってみると結構奥深かったりしますよね。大学生よりも、小学生や幼少期にその原点があったり。明確にその原点を探れる場合もあるでしょうけど、「いつのまにかなぜか気になっていた」など曖昧な場合もありますし。でも、結構昔から持っているものだったりするのではないかと、最近思うんです。

僕は作曲をし始めた時から、本当にその瞬間から、なんか作曲って不自由だなと思っていたんですよ。最初は五線紙に4分の4拍子、ハ長調などの拍子や調を設定して、それに合わせて曲を書くのが作曲だと思いやっていました。でも、そのはじめのところから、なんか窮屈だなと思いまして(笑)、一番窮屈に思ったのが、一小節の中の音符の数が決まっていることと、音程。その不自由さを打開する術(すべ)無く、大学に入りました。それで大学に入った直後に、電子音楽、ノイズ音楽、即興音楽とかを詳しく知って、ああ、これだったんだと思ったんです。

中園 ノイズって楽譜のようなものは無いのですか?

平本 書こうと思えば書けますし、楽譜になっている曲も沢山ありますが、音としては厳密には書けませんから。

中園 楽譜は人に作り方とか成立ちを伝える為のツールとしてということですよね?



平本 それもありますし、自分にとっての重要な記録であり、そこから演奏家が音を作っていく出発点になります。音を採って記録するメディアの歴史は150年くらいしか無いんです。それまでは音を音として記録出来なかった。演奏がされた場所に居合わせた人はその音楽がどうであったか分かりますが、それをそのままそこにはいない第三者に届ける仕組みは音楽の歴史上最近まで無かったわけです。それが無かった分、紙に記録したり、認識のための記号、つまり音符をはじめとする楽譜を書くための共通事項を伝承しなければいけなかった。日本の和楽器を使った邦楽曲のように文字で演奏を伝えていたり、多く民族音楽のように自ら覚えて後世に伝えていくという方法もあります。なのでレコード、テープ、CD等で記録出来るようになってから人々の音に対する考え方も変わってきました。

楽譜というものがどういうものかも知り、その楽譜に書かれた美しい曲達も沢山知っていましたが、どうして自分は作曲することに不自由さを感じていたのか分からないままだったんです。それであるとき、掘り下げてみたんです、25歳のときに。自分がそれぞれの年代でどういう曲に影響を受けたか、どういう音をカッコいいと思ったか。それでわかったのが、大体3歳くらいの体験が元になっているんじゃないかということでした。母親がよく聴いていたオペラのアリア、ドビュッシーの色々な曲、父親の好きだった映画音楽からの体験で、ダイナミズムがあって自由に音が変化する音楽体験が好きになったようでした。だから、結構小さい頃に原点はあるものだなと思ったんです。

中園 そうですね。自分も小さい時に泥だんごを作って友達と遊んでいました。手を動かしたり土の形を作っていく感触が好きだったのかもしれないです。

平本 白い紙から何かが描かれるというよりも造形物の方が無からものができる感覚をより肉体的に感じられますよね。

中園 それは大いにあると思います。

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