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東京を巡る対談 月一更新

中園晋作(陶芸家)×平本正宏 対談 溶けて流れて生まれるもの



<益子で次第に定まる方向性>

平本 益子はそれまでいらっしゃった神奈川の環境とは何が大きく違いましたか?

中園 都会だとある程度社会が形成されている中での最低ラインがある程度高いじゃないですか。家賃にしろ生活費にしろ。最低ラインが高くてそれが普通という点が、都会と田舎の違いかなと感じました。益子だとがんばれば何とかなるんじゃないかという気になるというか。川崎の頃は、最低限これぐらいじゃないとマズイ、という圧迫感が強かった気がします。

平本 その環境のことは東京で活動していると感じます。エイ! とやるしかないと思ってやっていますが。

中園 益子には陶器市もあるんですよ。イベントとしても大きいですし、色々な方が若手の陶芸家を探しに来てたりもするので、そういう部分では普通の田舎とは違って、焼き物の町だっていう感じがします。

平本 そこでいい人を見つけて、その人の作品を使おうとなったりするんですね。新人作家の見本市的な要素も含んでいるんですね。

中園 そうですね。そういうところから、ちょっとずつ扱っていくところが増えてという感じですかね。

平本 結構大きな決断をして、その決断から今結果が出てきているということですね。今みたいな作品を造るようになってきたのは、益子に移ってからですか?

中園 そうですね。その前は器に絵を描いたりしていて、丁度変化していきたいと思っていたタイミングでした。音楽もそうかと思うんですけど、人と違うものを作らねばと思ったりしないですか?

平本 思いますね。特に最近、強く思うようになりました。元々本当に曲を書くのが早いんです。特に23歳くらいから3、4年間すごく書けた時期があって、1カ月で2時間分くらい書けた。自分で言ってしまいますがどれも良い曲ばかりなんです(笑)。

だけど、何か物足りない、勢いの中で書いているけど、何かどこかで聴いたものや自分が気に入ったものにプラスαしているくらいな気がしてならなくなって。それに30歳ぐらいのときに気づいたら急に嫌になってしまったんです。もちろん、仕事の中でする作曲はそういう引き出しが沢山あればあるほどいいので、重宝しますが、自分のアルバムとなると気持ちが少し違う。

それで本当に最近の話になってしまうのですが、昨年の11月頃からちょっと自分のエゴと真剣に向き合ってみようと思ったんです。自分がいまやりたい音を真剣に探してそれを前面に押し出して音楽を作ってみようと。それで音探しからはじめて、色々やりました。それは自分が魅力的に感じる音楽、音とは何かと正面から向き合うことだったのだと思います。それで試行錯誤したら、いままで作ったことがないような曲ができたんです、1曲。しかもこの曲を書くのが早い自分が1曲に3週間もかかって。

作っている途中に何度も「これでいいのだろうか」という自問自答が起きるんです。でも、少しでも安易な方向、いままでの作曲にあるような方向に曲を持っていくと自分でイヤになってしまうので、そうなるとまた元に戻り。それで漸く1曲出来たときには、「ああ、結構できるものだなあ」と思いました。

中園 そういった曲はもう完成したんですか?

平本 今それらの曲を入れたアルバムを出そうとしているところです。八割は終わっていますが、これからブラッシュアップしていく曲もいくつかありますからまだまだ手は抜けません。今作曲している曲が出来た時の感覚は以前とは全然違うんですよね。なんというか、自信がありますね。ノイズや電子音楽だけど、初めてそう言う音楽を聴いた人もカッコいいと言ってくれる気がする。今までの曲では味わったことの無い感覚ですね。

中園 そうなのですか。でもそれは今までの経験があったからこそ感じるものですよね。



平本 そうですね。いままでどこかが納得いっていなかった、その経験がある分、そこを冷静に分析してアプローチした結果だと思います。基本的に作曲の仕事は依頼されて作るものがほとんどで、そうなると短時間で沢山作らなければいけないことが多いんです。そういうときに新しいアイディアや作曲法のストックを持っておかなくちゃいけない。もちろん仕事の中でひらめくことも沢山ありますが、今回のアルバムの曲のように、ちょっと時間を使って新しい一歩を踏み出していくことをしないと、自分が面白くないんです。いままでやって来たことをフル動員しつつ、エイヤ! と一歩上に行く時間作ることの必要性は、やっぱり作曲している経験の中で感じた部分が大きいですね。

あと、そのときの自分の素直な気持ちに逆らわないこともやっています。自分の出す音に納得していなかったら、納得するまで突き詰める時間を持つ。いいなと思えて来たらそれを深める時間を持つようにする。常に自分がワクワクする方向を大切にしています。そのためには中園さんの器や、美術、映画を見て自分が何に対して敏感に反応するのか、どこの瞬間に興味を惹かれているのかを把握しようとしていますね。もちろん、見ている瞬間は「すげー!」とか「カッコいいー!」とかの反応だったりするのですが(笑)。

中園 凄く良く分かります。何に対して敏感なのか、把握するのは、人のものとかジャンルの違うものから、自分が反応する核を見つける、言い換えれば自分の好み、自分自身の色を見つけるということですよね。独自性の話もありましたけど、結局そういうものって考え出すというよりは、そうやって時間をかけて気が付いていくものなのかもしれないですよね。それを思ってから同じように僕も、惹かれるな美しいなと何かを見て感じた時に、何がそう思わせるのかを考えるようになりました。

平本 そう思います。それこそ1しか知らない人よりも1000知っている人の方が馬力が恐ろしくあると思うんです。もちろん、何かをはじめる瞬間は少ないところからものすごくたくさん吸収して、それを面白いと思える力、興味の力がないとダメだと思うんです。僕も作曲をし始めた時そういう感じで、自分が接する1曲1曲が面白くて仕方なかった。でも、その興味の力をより深くするには、沢山のことを知って、沢山のものを面白いと思うことが大きい気がします。色々なものの魅力を知っていることは、結果的にそれに魅了される自分という存在も知ることになりますから。

中園 なんだかんだ、時間がかかりますよね(笑)。

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