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東京を巡る対談 月一更新

中園晋作(陶芸家)×平本正宏 対談 溶けて流れて生まれるもの


<手探りのスタート>

平本 中園さんが大学時代にオブジェを造られてから、器作りに移られた時に、これだ! と思うまでは時間はかかりましたか?

中園 長かったです。作る事自体は、例えばロクロをしたりとかっていうのは、最初からしてましたけど。現実問題それで生活出来るのかということですよね。大学を出て7、8年はどうしようか葛藤していた気がします。卒業後、臨時採用みたいな形で小学校に入れてもらっていたので、2年間は小学校に勤めて、その後は陶芸の道を試してみようと考えてました。最初は何となく関東へ来たくて、神奈川で始めたんですけど、すぐ仕事になる訳もなく、お金もなかったので、週に4日はアルバイトに行って、残りの3日ろくろを触ってという状態でした。どうしていいかわからないし、個展を開けば、誰かが認めてくれて自分の器が広がるのかな、とか、何かの公募展で賞を取れば良いのかなとか、そんな感じで動いていたので、今じゃ考えられないですよね。

平本 その当時は今のような環境でやっていくという発想はまだ無かったのですか?

中園 あまりにも漠然としていた気がします。実際に陶芸家の知り合いも全然いない、陶芸イコール職人として勤めるものだと思っていたんです。造形作品を造るアーティストか、もしくは1日何百という単位でロクロをやる職人か、その二択かと思っていたんです。大学で学び始めた事で、変にアート思考で進んでいたのかもしれません。結果、アルバイトをしながら、というのも続かなくなったので、先が見えず、その時が一番しんどかったかもしれないです。これでいいのかなと、とても不安が大きかったです。

平本 じゃあ今みたいなポジションがあるというのが考えられなかったのですね?

中園 毎日制作が出来るなんて、夢のようだと思っていました。それが出来るならどこにでも行くつもりでした。

平本 益子という街は全体が陶芸家が仕事しやすいように出来ているんですよね。

中園 受入れられやすい環境はあると思います。町としても焼き物に対しての理解はあるのではと思います。

平本 益子に移られたというのは、それまでの大変な時期からどう変わられて移ることになったのですか?



中園 それが面白くて、ここできちっと決めたというきっかけがはっきりあるんです。神戸で勤めていた時の先輩が、海外協力隊に行くという事で僕と同時に学校を辞めて、その後久々に会う機会があったんです。その頃自分は2年近くバイトしながら陶芸したいなと活動を細々していたんですけど、陶芸家はもう無理かなって本気で飽きらめかけていた時期だったんですよ。それで採用試験の勉強をしてたんです。その時に会ったんですけど、陶芸をしたいと言ってた事も知ってるので、なかなか諦めると言いづらかったんですけど、2人で呑んでる時に居酒屋で打ち明けたんです。色々思うようにはいかんやろうし、仕方ないかもな、みたいに言われると予想してたんですけど、その先輩に面と向かって「モヤモヤしたまま就職する事、俺は許さん。」と言われました。正直こちらも散々悩んだ上で言ってるし、安易にやーめたというノリでは全然なかったので、その時は分かりもせずに格好つけてる、と正直思ったんですけど(笑)。

平本 そうですね、その人の才能に気付いているとか、よほどその人のことを知らないと安易には言えないですよね。

中園 それで、その日は先輩の所に泊めて貰って、次の日帰りに喫茶店でコーヒーを飲んでいる時に、火がついたように悔しい気持ちになったんです。先輩にでなくて自分に。大きな決断に対して口を出すのは安易に出来る事ではない、という事にも気が付きました。これはもうやけくそでやってやろうと思って。失敗したらその先輩のせいにしてやれって考えて(笑)。

平本 なるほど、なるほど(笑)。

中園 採用試験や教職の為の貯金は使ってしまえ! と思って。それでベトナムに行って。

平本 あ、それでベトナムに行ったんですね!

中園 そうなんです。戻ってから、引っ越す時に益子という場所は決めていたので、空き家を探しました。自分でものを造って、暮らしていくようになりたい。だから環境には特にこだわりはなかったです。

偶然放置された別荘があるって聞いて。その物件は畳も半分抜けてて踏めないし、布団は腐ってネズミの巣は出来てるし、何か出てくるんじゃないかというような状態だったんですけど。これだったらしばらく家賃いらないよって。ただ、とてもじゃないけど住めるような状況でなかったんで、益子で知り合った方の家に居候させて貰いながら、家直しから始めました。

荒れ放題の庭の木を切ったり、屋内を作り直したりしてたんですけど、その時は色んな人に助けて貰いました。自分がずいぶん時間をかけても上手くいかなかった屋根を、大工さんが半日で仕上げてくれた時にはプロの凄さを感じました(笑)。この時、色々な人に助けて貰ったり、新たな展開をしていく事とか、行動せずに神奈川でいくら考えていても分からなかった事だと思います。

平本 背水の陣でのぞまれた訳ですね。もうやってやると。

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