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東京を巡る対談 月一更新

長尾健太郎(数学者)× 平本正宏 対談 シンプルな坂道を登る時、どちらを向くか

<「そこに坂道があるから」>

平本 高校、中学の当時、日常生活においても数学を重点的に勉強していたんですか。

長尾 中学の時はそうでしたね。

算数オリンピックに関わっておられたピーター・フランクルさんが、算数オリンピックでいい成績を残した子供たちを自宅に集めて、数学教室のようなものをやってくれていたんですね。数学オリンピックを目指して勉強するというんじゃなくて、面白い問題がいっぱいあって、それをひたすら解いていくという。

平本 解いていく過程が面白かったということでしょうか。

長尾 過程も面白いし、自分で発見したアイディアが増えていく感覚も楽しいし。

平本 学問的な数学の本質みたいなものに、子供の頃から接することができてたんですね。

長尾 数学オリンピックの数学自体は、僕が現在仕事としている「学問としての数学」とは少し専門ギャップがあるんですけど、そこへ至る架け橋のようなものではありましたね。

――「学問」という言葉が出たのでお聞きしたいのですが、数学と自然科学の関係について少し話していただければ。

長尾 自然科学のなかにも色々あるとは思いますが、実生活での「必要性」とか「欲望」を叶えたいと思って自然科学を研究する人もいるだろうし、一方で純粋に自然の仕組みを知りたいと思って研究する人もいる。

数学者にも両方のタイプがいますが、僕は後者。数学者の場合にちょっと違うのは、自然を相手にしているわけではなくって、あくまで相手は数学。モチベーションまで含めて、数学の中で閉じてしまっている。一言でいってしまえば、面白いからやっている、ということですね。

芸術分野では、積み重ねてきた経験でセンスが磨かれていくと思うんですけど、数学者の場合も数学的経験によって数学的感覚が磨かれていって、その感覚が面白いと訴えることを突き詰めていくというか。

登山家が「そこに山があるから」山に登るという話がありますが、僕らの場合、霧がかかっていて、そこに山があるかどうかすらよく分からない状態でやっている感じかな。もしかしたら霧の切れ目にちらっと山頂が見えることもあるかもしれない。いずれにせよ、山頂を目指してまっしぐらに登るというより、「そこに坂道があるから」登っているというか。

重要なのは、どっちの方向に進むかは神経を研ぎ澄ませて選んでいくことです。高みへと誘ってくれる道を進みたい。逆に、「山があること」「山頂まで道があること」が分かってしまっていると、僕らにはやることがないと言える。

平本 作曲とも似ていると思います。

音楽は、結果として人に役立つことがあります。聴いた人が優しい気持ちになれたり、楽しくなれたり。でも、それは作曲家が意図したものではなくて、副次的なものなんですね。

作曲家がなぜ作曲するかと言うと、単純に作りたいから。作曲は、登山家のように到達点を設定せずに、ぽっと出てきた音に飛びつくなどして新しい音楽の発見に繋げていく、そういう行為なんです。自己発見の好奇心だけで作り続ける。

長尾 研究の進めかたや社会における立場を考えてみれば、自然科学のなかでも、数学者は芸術家と近い部分があるかもしれません。社会にどう貢献しているんですかと問われると、なかなか困ってしまうところもある(笑)。

平本 そういう共通点があるからか、芸術の世界でも、数学にシンパシーを感じている人は多いですね。数学をモチーフに作品を作るとか。

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