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東京を巡る対談 月一更新

長尾健太郎(数学者)× 平本正宏 対談 シンプルな坂道を登る時、どちらを向くか

<「シンプルさ」を巡って>

平本 普段はどういう音楽の曲を聴きますか。

長尾 パソコンで作業してる時は、中島みゆきとか……。

平本 いいですねぇ。

長尾 歌詞にインパクトのある曲が好きですね。論文を書くのって割と単純作業なので、音楽を流しています。でも、喫茶店で紙を使って計算したりする時には、何も聴かない。もともとイヤフォンで聴く習慣もなくて。

平本 僕は音楽をやっているからか、曲を聴きながらほかの作業ができない。作曲するか、集中して音楽を聴くかする時以外はなるべく音を排除しています。

前作「TOKYO nude」では、街の音を収録して、スペクトラム解析し、強く出ている周波数帯域を抽出して曲にしました。収録音が20分間あったら、その20分のなかに伏在する芯のようなものをマクロ的に見つけて加工していくというのが、作曲の流れでした。

で、今度は、もうちょっとミクロな部分に視点を移そう、と。街の音をオーケストラの楽器みたいに分類するのは非常に難しいわけですが、その要素となっているものをなんとか拾えないか格闘しています。いまはまだ詳細は秘密なんですけど(笑)。

今やっている作業では、偶然のリズムが生まれました。日常のなかの、誰も気にも留めないような音を、コンピュータを使って音楽化できないかと考えているところです。

長尾 ふーん。

平本 最近、数学を使ったインスタレーションを作る音楽家が多いんですよ。池田亮司さんなどもそうだし。

僕の作曲は、音の波形を編集していくのが主な作業になります。ソフトウェアのエディット画面を見れば分かるんですが、面白いことに、曲がうまくできたと思うときは、その波形のまとまりも美しくなるんですよね。

加えて、それは面白いと思うと同時に、不思議でもある。数学でも、突き詰めていって、すごくシンプルな式が導き出されることがあるとどこかで聞きました。そういう、シンプルだけど、すべてを含んだような物が見えてくることってありますか。

長尾 もちろん。むしろそうなった時に、上手くいったと感じるわけです。それはひとつの判断基準。

「シンプルな式」と言った時に、必ずしも「式の見た目がシンプルである」ということを意味しているとは限りません。もちろん見た目がシンプルであるに越したことはないですが……たとえば、見た目は複雑でも、実はその背後にきれいな理論――幾何学とか――があって、その理論の帰結として出てくる式は、僕にとって「シンプル」です。

平本 いま作っている曲では、まさにシンプルさを求めています。シンプルで通用するには、その音自体に相当の魅力がないといけないんですよ。

あと、長尾さんのおっしゃったことに通じますが、ひとつのシンプルさを提示することは、自分がやってきた音楽のひとつの帰結を提示することと同じだと思っています。もちろん日々の作曲活動は、それまでの作曲のアップデートの連続なのですが、シンプルさを導き出すのはそれを汎用なものに落とし込めなきゃいけない。なかなか大変です。

音楽では、シンプルなものを作れば、応用が利くと思うんですよ。誰かに使ってもらい、アイディアをそこから新たに生み出してもらうとか。

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