平本 現在のお仕事半分を占める、ジャム作りの最初の提案はどうですか?
フルタ ジャム販売は2011年4月からです。父親の実家が果樹園をやっていて、今はいとこが継いでるんですけど、リンゴとか洋梨、プラム、桃をやってて、中でもリンゴが一番天候に左右されやすいので、お店に出せないものを親戚に送るんですね。加えてヒョウが降ったり台風が来たから収穫したけど、加工用にはなるけどいらないかって言われたりして貰って、ジャムにしたりしてました。あと自分で一番最初に売るきっかけとなったのは、友人と企画したもので、お菓子を作る人とクリエイターの人が一組になって作品を作る「絵菓子展」という企画だったんです。7、8年くらい前なのかな。その時、私は一人のアーティストと組んだんです。で、その時は料理の仕事をやっていたので、アーティストの方から私と組みたいって言ってくれたのかな。
平本 そのアーティストの方はどういった方だったんですか?
フルタ サダヒロカズノリさんっていう方だったんですけど、グラフィックとかですごい緻密な絵を描いたりとか、すごくカラフルでモザイク的な絵を描く人で、その人と一緒にやってて。その企画のテーマがリンゴなんですよ。
平本 おお、なんていう偶然!
フルタ その時に絵と何種類ものリンゴをジャムにして出しておいたのが、最初だったのかな。それで、その時に結構評判が良くて、だけどその時は全然分からなかったので、賞味期限も2、3週間みたいな感じだったりとか。その間にもカビが生えていたような感じになったりと言われたり(笑)。それが悔しくて、何でそうなっちゃうんだろうって。研究心とか探究心はすごいあって、何かに対してすごい掘り下げるというのはすごい得意なので、それで調べていくと次にやりたいものに繫がって、何かのイベントでまた出して。
平本 じゃあ結構その時のジャム作りで色々あって試行錯誤したのが、その後の多種類のジャムを作るようになったきっかけでもあるんですね。
フルタ そうですね。それで結構私が作るジャムが好きだって言ってくださる人がいて、その中の一人がお店を開く時に私のジャムを置きたいって言ってくれて始まったんです。
平本 じゃあクラシコムで販売する前に別のところで販売されていたんですか?
フルタ はい。屋号のHOME.レーベルで販売してて、クラシコムの近所の国立コーヒーロースターで私のジャムを使ったバレンタインセットという企画をやっていたのですが、クラシコムの店長が買ってくれてすごいおいしいジャムだって言ってくれたんです。その後に社食の話を提案されてクラシコムに行ったんですけど、その時に美味しいジャムを作っている人が社食を作ってくれるんだみたいな雰囲気になって、社食の仕事が落ち着いた時に何か新しいことをしたいっていう時にジャムを扱わせてくれと言ってもらったという流れなんです。
平本 そうなんですか。クラシコムの店長さんが食べたのも偶然なんですよね。
フルタ そうなんです。全部自分がやりたいというのではなくて、それこそ社食を始めたのも友達がそういうのを作ってくれる人を捜してるらしいよって言ってくれて。
平本 そのお友達は国立でのジャムの販売で知り合われて?
フルタ 彼女は国立で焼き菓子屋をされていて、クラシコムの企画にも参加されていたんです。私が社食っていいなって思っていたのは、ヨーガンレールの社員食堂を経験したからです。ヨーガンレールの社員食堂をまた別の友達が手伝っていて、友達が海外旅行に行く時に誰かヘルプで入ってほしいって言われたんですよ。私はその時に既にヨーガンレールを取材をしていて何回か社食を食べさせてもらっていたので、素敵な社食があるということは知っていて。ヘルプで入るとまかないでおいしいご飯食べれるからいいなって思って(笑)。社食自体もすごく体にいいものを取り入れていて、作っているかたたちも楽しそうで、食べるかたたちも嬉しそうで。こんな風に社食をだされる会社が増えるといいな、と思っていたのです。
平本 社食ってここ数年で本当にブームになっていますよね。健康管理だったり、モチベーションだったり、食事の役割って大きいじゃないですか。
フルタ そうそう。で、いいなと思って別に誰に言ったわけじゃないんだけど、国立のお友達から「どう?」って言われて、そういうことを望んでいる会社が近くにあるんだったら手伝いたいな、私が出来ることならやりたいなっていうのでやり始めて、そしたらそこの店長が私のジャムを知っていた、ということなんですよ。
平本 そこは偶然ですけど運命的ですよね。それまでクラシコムでは社食的なことはやってきてなかったんですか?
フルタ ほとんどやってなくて、たまにスタッフの一人が皆に料理を振る舞ってって感じだったようです。