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東京を巡る対談 月一更新

大森立嗣(映画監督)×平本正宏 対談 社会の枠から出てはじめて生まれる愛

<感情移入という最大公約数の罠をはずす>

大森 結局、映画作るときに思っているのは、映画って人が生きている姿や逆に人が死ぬ姿を撮ったりするけど、やっぱりある種の死生観は入り込まざるを得ない。それ無しには撮れないというか。

『さよなら渓谷』もどこかでかなこと俊介っていうのは、社会の枠から一度出ちゃった人じゃないですか。

平本 そうですね。強制的にだったり、ある種の因果だったりで。


6月22日より上映中の映画『さよなら渓谷』http://sayonarakeikoku.com/

大森 そうそう。社会って色々な規範が多いじゃない。『さよなら渓谷』っていうのは、そういう規範からはみ出ちゃった2人が、逆の言い方をすると色々なことから自由になっちゃった訳ですよ。そういうときだから、ああいう原初的な愛が生まれる可能性が逆にあるんだよね。だから、あの2人がああいう原初的な愛を見つけるのは必然だったのではと俺は感じているんだよな。

平本 何か解放の頂点みたいなものを『さよなら渓谷』の2人には感じるところがあるんです。かなこについて半ば強制的にその領域に入れられてしまいますが、俊介は、自ら志願して、社会的な生活を投げ打って、その領域に踏み込んだ訳ですよね。

大森 あの映画の見方はすごく難しいところがあって、かなこという女性を同情みたいな視線で見ると間違うんじゃないかなと。かなこの方がもしかしたらものすごく自由な場所にいる女性かもしれない、もちろん辛い経験がある訳だけど。むかし俺、大和屋暁(やまとやあかつき、またはぎょう)さんっていう映画監督、脚本家で評論も書いている人がいるんだけど、羽仁進の『不良少年』っていう映画があるんだけどね、不良少年が主人公の大傑作の映画なんだけど、その映画のことをその不良少年に同情なんかしたら、ナイフ突きつけられるぞという評論を書いている。それはこの映画でも当てはまるかなと。

かなこを同情みたいな視点で見たら、何かにやられちゃうよっていう気がするんだよね、俺は。難しいんだけどさ、感情移入っていうのをさ、映画の見方は感情移入しかないみたいなことをみんなが言うわけですよ、お客さんも。だけど、感情移入っていうのは、映画が発見したさ、1つのすごく大事な見せるための方法論ではあると思うんだけど、それだけじゃないわけじゃない。元々映画の成り立ちっていったら、リュミエール兄弟が機関車を撮って見せたらお客さんがビックリして逃げたっていうのが始まりじゃない。それって感情移入とは別のものだし、目撃者になれるわけじゃないですか、ある俳優たちがそこで感情を動かしている目撃者になったりするわけだ、お客さんは。たとえ感情移入ができなくても。

そういう風に色々な見方があるのだけど、感情移入ができなければつまらないっていう言い方しか出て来ないのは、どうなんだろうなと思う。

平本 その感情移入だけの見方は勿体無いと思います。音楽でも、僕はアブストラクトな現代音楽や電子音楽も作りますが、メロディが無いと、リズムが無いと音楽の世界に入り込めないとよく言われます。でも、いい音楽っていうのはそういうところではなくて、とにかく音楽のパワーで圧倒してくる、体の芯に響いてくる。だからこの場合、音楽に入り込むといっても、メロディやリズムのガイドラインに乗って入り込むこととは少し違う。

だから感情移入やメロディに身を任せたりすることだけを求めると、見方や聴き方がすごく狭くなってしまって、勿体無い気がするんです。世界を全部そのままを体で浴びてしまった方が、よっぽど楽しめる部分が増えますし、面白い作品とそうでない作品の判断もしやすくなる気がします。

大森 そうだよね。よく映画作っているときに、感情移入っていうのはさ、ある主人公がいて、そのどこか公約数化されている感情なわけだよ、みんなが納得できるような。だからそれがどうなのかなと思って。つまり、1人1人が考えていることっていうのは特別なことなわけですよ。主人公じゃなくても誰でもいいんだけど、それぞれが特別だと思うんで、それで感情移入となっても公約数化した大ざっぱなことだなと思う。

平本 大森監督が脚本作るときに、キャラクター作りに力を入れて、そのキャラクターが生きるように世界を作っていくという話を何かの記事で読んで、個体を重視して作品を作るんだと思ったんです。

大森 そうですね。物語以上に個体を重視します。

平本 それは演奏にも通じるんです。僕は大学に入って自分の曲を初めてカルテットに演奏してもらったときに、頭の中に自分の曲の演奏のイメージがバッチリできていて、それを再現してもらうようにしたんです。その雰囲気を細かく演奏家に強要してしまって。そうすると全然うまくいかないんです。自分の想像の何倍もうまくいかず、演奏家との雰囲気も悪くなってしまって。

それで次の曲を演奏家に演奏してもらうときは、そのときの反省を生かして、全く違う方法をとりました。楽譜を渡して、自分の目指している雰囲気を説明したらあとはどうするかを全部演奏家に任せてしまった。そうしたらどんどんいい方向に行くんです、その演奏をお願いしたメンバーだからこそできる演奏になっていくんです。

大森 それは『さよなら渓谷』の音楽のレコーディングのときにも思ったよ。平本がやっていることは、俺が役者にやっていることと同じことをやっているんだって。

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