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東京を巡る対談 月一更新

大森立嗣(映画監督)×平本正宏 対談 社会の枠から出てはじめて生まれる愛

<社会の枠の外に出る人たちの原初的な愛>

大森 音楽作るときに、自分の中の一番何を頼りにしているんですか?

平本 僕の場合は自分の耳です。僕、大学に入ったときに、自分にとって世界で一番厳しいリスナーになろうと思ったんです。そのためにはジャンルに関係なく音楽を知らなくてはいけないですし、歴史も知らなくてはいけない。この耳がオーケーを出した音楽なら自信を持って世に出せる、そうなろうと決めたんです。だから、作曲をする中で、自分が少しでも「あれ?」って思ったことはもう思考の余地無くダメだと思っています。作業的にはパソコンからデータを破棄してしまう。かなり勇気がいりますが(笑)。

ただ、その自分にも揺らぐときがあるので、そういうときは音楽好きの数人の友人にコンタクトをとって、最近いいと思った音楽を片っ端から教えてもらう。いい音楽を知ることの積み重ねが、いい音楽を作るきっかけになると思っているので。

大森 うんうんうんうん。俺やっぱり映画作っていて、まだ映画作り続けていいなと思うのは、普通に映画館に映画観に行って感動するとき。つまり、そういうものに心が動いているから、逆にそういうものに心が動かなくなったら映画できないんじゃないかなと思っていて。その心が動くっていう、ある種の感動みたいなものだけを信じているんですよ、俺は。

平本 人のものにいいと思うことはすごく大切ですし、いいと思った感覚から生まれるものって沢山あると思います。

大森 演技の芝居をつけているときも、役者の芝居を間近でみているとね、感動しちゃうんだよ、すげーって(笑)。やっぱりすごいものがあるから、シーンにOKが出せるというか。もちろん、些細なシーンもあるから、全部に当てはまるわけじゃないけど。ちゃんと心が動いていることが大切。

平本 前に新宿でダビングの帰りに飲んだときも、「あのシーンの芝居本当に良かった」とおっしゃっていましたもんね。僕も今回音楽のレコーディングをしていて、「このメンバーいいな」って思う瞬間が沢山あったので。

大森 そうそう、そういう感じ。自分でやっておきながらね、感動しているんだよね(笑)。

平本 そうなんですよ(笑)。自分で書いておきながら、演奏家の演奏聴いて、「なんていい曲なんだ」って思っているんです(笑)。

大森監督にとって『さよなら渓谷』はどういう作品だったんですか?

大森 あのね、やっぱり、俺のフィルモグラフィーの中で、いままで俺ずっと青春映画を撮っていたんだな。20代のぶれている男たちや女の子、『ゲルマニウムの夜』、『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』。『まほろ駅前多田便利軒』は少し違うけど。『ぼっちゃん』もそんなところがあったりして、遅れてきた青春というか。『さよなら渓谷』はちょっと違うんだよね。大人の人たちが主人公で、それは自分にとってチャレンジだったんだよ。

ただ、自分で宣伝とかでしゃべりながら考えていることなんだけど、さっきも言ったけど、『さよなら渓谷』は社会の枠を出ちゃった人なんだな。これがなんなのか、自分の中であまり構造的に考えないで、これいいなと反応して作っているだけだったけど、しゃべっているうちにこういうことだったんだと気づいた。社会の枠の外にいる人たちの原初的な愛がうまれそうなところを描いている。それはいままでの映画に共通する部分であって。

スタッフとか、特にカメラマンはずっと一緒の人(大塚亮さん)でやっているんだけど。大人の映画ということもあるかもしれないけど、何か、次のステップの最初の映画という感じがしている。いままでは青少年3部作って言っているんだけど、『ゲルマニウムの夜』、『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』、『ぼっちゃん』で。『さよなら渓谷』は次のステップになるきっかけになったかな。そう感じるんですよ。うん。

俺ももう5本目なので、映画を技術とかがついてきているわけだよ。だから、それをもう一度考えなければいけない。技術がつくことっていいことと悪いことがあるんだよな。もの作るって言うのはどこかで揺らぎみたいなものが必要じゃないですか。俺たち作り手は常に不安定なところで揺らいでいないといけないと思うし、同時に人に伝えるには技術だって必要じゃないですか。その辺のことを若いときはがむしゃらに行けちゃうこともあるんだけど、次にいかなくちゃいけないとこにいま来ているなと思って。

平本 それは撮って気づいたんですか?

大森 もちろん撮っているときは気づいていないんだけどね。俺、『さよなら渓谷』っていう映画にものすごく自信持っているんだよね。堂々と見せられる映画だなという感じがするんだけど、そう思っている自分ちょっと大丈夫かなっていう気もするんだよ。いつももっと怖いんだよ、『ぼっちゃん』までは。だから、『さよなら渓谷』は映画としてどこかまとまり過ぎているんじゃないかっていう疑問は、自分にいつも問うてる。それはどうなんだろうなと。

平本 今までとは違う手応えは面白いですね。それが狙おうとしているというよりは、何かやった中で出てきたわけですよね。

大森 やっぱり、うまくなってる。俺も、カメラマンも。役者たちもレベル高い人が来てくれるし。演出も自分で言うのもなんだけど、精度は上がっているわけだよ。カメラマンの大塚さんとのやり取りも。そうすると、揺らぎが弱くなっているんじゃないかなと思うこともあって。逆にそれが怖くなってきている。

安定感はあるし、原作が持っている力に飲まれていけばいいやって思っているから原作の力もあるし、現場の全体から来る力もある。でも、どこかでブレが少なくなってきているんじゃないかと。大丈夫、俺? みたいな(笑)。ただ、わからない。

『さよなら渓谷』って感想を言いにくい映画なんだよ。いつも俺の映画そうなんだけど、感想言いにくいっていうのは悪いことじゃなくて、自分のわからないことがあるから言葉が出ない。

平本 体にはずっしり来ているんですけど。

大森 そうそうそうそう。あとやっぱりヒットしたいって言うのもある。だから、誰かがオピニオンリーダーで言ってくれたらとも思う。でも、大丈夫でしょ。

平本 僕は結構自信あります。すごい作品です、これは。

大森 いや、俺も自信あるよ。ものすごく絶賛の言葉が来ますよ、寺島しのぶさんや、瑛太さんも絶賛の連絡が来て、それで昨日一緒に飲んだんだけどね(笑)。

平本 いいパンチを貰える映画だと思うんです。ものを見たり聴いたりするのは、自分に無いものを体にしみ込ませたいという願望があるから接するんで、さっきの雰囲気ものみたいに、自分のフィルターで処理できてしまうものならただ流れていきますけど、そういうものは欲しくない。そのフィルターを破って、どっと体の中に流れ込んでくるものを知りたいですし。そういう意味でも、この映画はすごいと。

大森 そうなんだよね。でも、フィルターに収まるものがヒットしたりね、恐ろしいことにね。

平本 で、ヒットを狙っていくとどんどんつまらなくなってしまって。

大森 そうそうそうそう。仕方ないよね、映画が資本主義の中で生まれたものだから(笑)。

平本 でも、最終的にはすごいことになるんだと思います。

大森 そうだね。がんばろう、宣伝頑張ろう。そういうモードの時期ですね。

平本 ありがとうございました。


大森立嗣 Tatsushi Oomori

1970年生まれ。前衛舞踏家で俳優、大駱駝艦の麿赤兒の長男として東京で育つ。
大学入学後、8mm映画を制作。俳優として舞台、映画などに出演。自らプロデュースし、出演した『波』(01/奥原浩志監督)で第31回ロッテルダム映画祭最優秀アジア映画賞”NETPACAWARD”を受賞。その後、『赤目四十八瀧心中未遂』への参加を経て、2005年『ゲルマニウムの夜』で監督デビュー。第59回ロカルノ国際映画祭コンペティション部門、第18回東京国際映画祭コンペティション部門出品など多くの映画祭に正式出品され、国内外で高い評価を受ける。2010年『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』で日本映画監督協会新人賞を受賞。第60回ベルリン国際映画祭フォーラム部門、第34回香港国際映画祭に正式出品された。昨年全国公開され話題となった最新作『まほろ駅前多田便利軒』では、キネマ旬報日本映画ベスト・テンで、4位に入選。シネマインパクト作品『2.11』(12)が、第42回ロッテルダム国際映画祭に正式出品される。2013年には『ぼっちゃん』、『さよなら渓谷』が公開。『さよなら渓谷』はモスクワ映画祭コンペティション部門に出品され、審査員特別賞を受賞。 

撮影:moco  http://www.moco-photo.com/

 

 

 

 

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