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東京を巡る対談 月一更新

大森立嗣(映画監督)×平本正宏 対談 社会の枠から出てはじめて生まれる愛

<コーヒーを飲む時、美味しいかどうかは役者にまかせる>

大森 俳優っていうのはこれまたややこしくって(笑)、ものすごく不安に思う存在なんですよ。自分の体が音楽でいう楽器のようなところがあるから、その距離感というかバランスをとるのがすごく難しい、自意識とかが働いてくるんですよ。できない俳優っていうのは、常にその距離感がへたくそなやつが多いですね。

まず緊張があって、これはアクターズスタジオの本でも他でも書いてあるんだけど、3分の1くらいは緊張をどうとるかということに費やされている。緊張はもう役者の職業病なんだけどね。リラックスしないと心が動かない、普通。だから、自分の緊張をとってリラックスさせて、心を動かす訓練みたいなことを役者はしている。

脚本があるじゃないですか、で、セリフがあって、“泣く”とか感情が盛り上がっていくみたいなことが書いてあるとするじゃない。そうするとみんなそこで泣かなきゃいけないと思ってお芝居するんです。それで感情を無理矢理作用させようとする。でも、本当は違って、お芝居っていうのは感情がリラックスして、セリフだったり、相手だったりという対象物に集中すると感情は勝手にわき上がってくるんだよ。で、そのことを信じて演技してって俺はいつも言っているわけ。だから、涙なんていうのはガイドラインで書いてあるだけで、泣こうか泣くまいかはどっちでも良くて、もし衝動が起こったらそこを恐れずに。で、そのとき大切なのは、今度は勇気がいるんですよ。起こってきた感情をもう1回出さないといけない。で、みんなやっぱり感情を出すっていうのは怖いことだから、そこを止めちゃう人もいっぱいいるわけ。だから出していいよって言ってあげる。

平本 そこで止めちゃう人もいるんですか!?

大森 いるよ。つまり、どこまでやっていいかっていうのがすごく難しいわけよ。あと結構きついシーンだと、自分が壊れちゃう可能性もあるんですよ。行き過ぎちゃう、感情をコントロールできなくなっちゃうから、やっぱり怖いわけ。でも、出していいよって、受け止めてあげるからって。それも同じで、不確定なもののなかでやるしかないっていうことなんだよ。映画も、脚本作りもそうだし。ラストがあって、そこに向かってパズルのようにシーンをはめていくわけじゃなくて、『さよなら渓谷』でもさ、原作ものでもやっぱり、最後変わっちゃってもいいかなと思っているわけ、どこかで。もし、役者が違う風に思うんだったら、そっちの方がいいかなって。

平本 なるほど。脚本を書く作業はどうやってやっていくものなのですか? 『さよなら渓谷』は高田さんと2人で書かれていますが。

大森 基本的に今回は高田さんが書いたのを、俺が書き直したり、2人で話しながら作り直したりした。

平本 その時点では役者は決まっているのですか?

大森 決まっていない。決まっていない方がいいんですよ、俺は。決まっていた方がいいっていう人もいるんだけど。

平本 ということは、書く時点ではイメージを全く作らないということですか?

大森 俺は作りたくないんだけど、脚本家は書きたがるわけですよ。流れの中で、ある種感情を限定するような言葉があったりするじゃないですか。例えば、コーヒーを“美味しく”飲むって書いて欲しくないわけ、コーヒーを飲むって書いて欲しいわけ。美味しいかどうかは役者が決めるから、って俺は思う、そこで限定しないで欲しいって。だから、割とそういう言葉を省いて、省いていく。

平本 なるほど。行為だけを提示して、その行為の中でどう表現するかは役者自身に任せてしまうんですね。

大森 そう。行為の意味を限定したくないんだよね。言葉っていうのが、現場の演出でもそうなんだけど、あまり言葉を使いたくないというか(笑)、意味を限定しちゃうから。

平本 実際の演出の場はどういう風になるんですか?

大森 もうだから、「はい、いこう!」って言って。むしろ本当にやりたいのは、「もう~」とか「ああ~」とか言って言葉じゃないもので伝えたい。それが一番いいんじゃないかなと思って。

平本 そこに役者が行動や感情を限定してしまう言葉をなるべく入れないで演出したいという。

大森 でも、実際、本当に単純な言葉で演出しているよね。だから、「もっと来い、もっと来い」とか、「ここは行っちゃって」とか、本当に何フレーズという言葉で演出していると思う。よくわからない言葉を使っても、役者だってわけわからないでしょ。体で感じなきゃいけない人たちに、説明的な言葉を投げかけてもしょうがないわけ。それよりも、さっき言った対象物、例えばコーヒーだったら、その味をちゃんと感じて欲しい。それこそが、お芝居だと思うんだよね。相手が何か言っていることをちゃんと受け止めて欲しい。だから、芝居が毎回違ってもいいやって思っているんですよ。

平本 本当に演奏行為と似ていますね。全く同じと言ってもいいかもしれません。作曲家として演奏家に一番伝えたいのは、演奏家本人がここで一番いいと思うことをやるのがいいと思うんです。だから、なるべくそれを引き出せるような状況作りをしてあげる。

『さよなら渓谷』のサントラをレコーディングするときも、事前に演奏家に全曲どのシーンの曲かを教えて、音楽がまだ入っていない映画のDVDを渡して、「それ以外の情報は気にしなくていいから」と伝えて音を作ってもらったんです。僕の解釈とか、原作とかそういうのは考えなくていいから、目の前のシーンに一番合う音を出して欲しいと。それは結構うまくいきました。

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