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東京を巡る対談 月一更新

大森立嗣(映画監督)×平本正宏 対談 社会の枠から出てはじめて生まれる愛

<心が動くようことが届く演技と演出>

平本 今回の作曲ですが、結構深いとこまで入り込んで作曲したと思っています。映画がやっぱり観た瞬間にこれはすごい映画だ! と確信したので、表面的ではなく映画の芯の部分に流れる音楽を作りたかった。実は『さよなら渓谷』の音楽を作ったことで自分の作曲に対する考え方が変わった部分がありまして、シンプルに体に響いてくる、それこそ団地の風景じゃないですけど、パッと見た瞬間に体に入ってくるような、聴いた瞬間に体が反応するような音を作らないといけないと思うようになって。

大森 おお、いいね。

平本 それで2月くらいからクラシックの名作を聴き直したり、最近の曲や音色のリサーチをしたり、実験したりして、最近漸く少しずつ形になり始めたかなと思っているんです。

大森 俺も若い俳優さんにワークショップやったりして教えたりしているんだけど、すごく難しいのが、役者がさっき言った通りものすごく緊張したりするときに、まあ防御をするんだよ、本能的に。子役なんか一番わかりやすいんだけど。若い俳優さんでも経験の少ない人はそういう人がいるんだけど、防御したりするときにどこかで見たことがあるような芝居をしたりするんですよ。

で、なんだろうなそれってすごく思っていて、俺がずっと望んでいるのは、もっと直接的な、自分が反応するっていうのが一番大事だと。つまり自分自身がこの水を冷たいと思う、そのパッと入ってきたことをどう受け止めて、どうするのかがすごく大事なのに、カッコつけたり、いろいろなことでみんな防御するんだよ。

それは俳優だけでなく、映画を観るような、音楽を聴くようなお客さんでも、自分で感じるっていうことよりも誰かがこういう風に言っていたからこういう風に観ればいいんだっていうことが多すぎると思う。情報が多すぎるからかなって思うんだよね。一番大事なことって、自分の心が本当に動いたってことが、ものを作っていて一番嬉しいことじゃないですか。お客さんが動いてくれたっていうのが。それを二次的な意見や何かを通して言われてもさ。「それって何系でしょ?」って言われてもさ。

平本 すごくわかりますね。日常生活の、そういうことが関係ない部分では、結構素直に反応して、自分の意見を言ったりするじゃないですか。でも、何かを観るとか聴くとかになると、途端に構えてしまって、「どこの意見に乗ればいいか」を考えるようになる人は結構いる気がします。乗り先を考えるじゃないですけど。

ツイッターは特にその傾向が顕著な気がします。1人の著名人や批評家が、ある作品に対して1つ意見を言うと、「自分もそう思っていた」というフォロワーが大量発生していく。

大森 作家の高村薫さんが前にニュースステーションに出ていたときに、ツイッター140文字の中では何も語れるわけではないと。今みんな本当にわかりやすい言葉を求めているから、そこに乗っかりたい。それがちょっと怖いなと語っていて同感しました。やっぱり、一個一個のことは、言葉にするのも本当に難しくて、小説家は言葉を紡ぎ出すのにものすごい苦労をしていると思うんだよ。それをやっぱりわかりやすい言葉や意見で全部片付けるのは危ない気がしている。

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