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東京を巡る対談 月一更新

村上祐資(極地建築研究者)× 平本正宏 対談 月より遠い南極〜薄曇りの極夜に音は潜んで

<境を越えた先にあった東京(=日本?)>

平本 今日の撮影場所に多摩川を選んだ理由を教えてください。

村上 東京ってそもそも何だろう、と思って最初、東京でしか手に入らない物があるかなとか、東京でしか見られない物があるかなとか考えたんです。それは思いつかないわけではなかったんですが、どれも僕にとって優先順位の低い物だった。東京でなければならないという物が、全くなかったんです。昔から住んでいる横浜と、東京のあいだには、そんなに差がないと感じてしまう。

    で、今度は範囲を広げてみて、海外から東京に帰ってきたな、と感じる瞬間はいつだろうと考えてみたら、成田空港の到着出口に思い当たりました。成田は厳密には千葉だし東京とは言えない。だからつまり、僕のなかには、東京と日本のあいだに明確な区別がなかった、そもそも東京を意識していなかったのかもしれないです。

    それでも敢えて、東京との境い目というのについて焦点を搾っていくと、僕は中高が都内だったんですが、6年間横浜から東横線で通っていて、多摩川を越える瞬間に、東京に入るぞとイメージしてたことに気づきました。境い目としての多摩川。そこを通過するときに、東京が意識に上る。6年の月日と自然の地形が生んだ、意識の境い目というか。

平本 過日、チベットとネパールを分断する川の写真を見せてもらったとき、地形が境を生みだす、そのことをはっきりと感じました。


チベットとネパールの間(撮影:村上祐資)

村上 シシャパンマという山に行ってきたわけですが、この山はヒマラヤの8000メートル峰のなかで唯一、全体がチベットすなわち中国領内に入っています。ほとんど初めて陸路で国境を越えたんですけど、ネパールと中国の差を唖然とするほど感じました。

    まず道が違う。中国側は綺麗に整備されているのに対し、川を1本隔てただけのネパール側の道は、がけ崩れしているような悪路。その代わり中国では、泊まる宿から料理屋まで指定されます。チベット語のシシャパンマという山の名にしても、「家畜は死に絶え、麦の育たない辺境の地」という意味ですが、ネパール語ではゴサインタンと呼び、「神が坐す山」を意味している。象徴的に違いが際立ってますよね。


ヒマラヤの頂き(撮影:村上祐資)

    素直に自分が東京に入ったと感じられるという意味で、多摩川は、チベットとネパールのあいだの川と同様に、ナチュラルな境い目ですね。また、地形的な境い目と、自治体の境い目が合致していると考えるにつけ、多摩川の存在が自分のなかで前景化して、「いいなぁ」としみじみ思う。

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