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東京を巡る対談 月一更新

鳴川肇(建築家)×平本正宏 対談 遠隔地の風景と時間軸の作図法



<中心点の移動>

鳴川 キャプテン・クックは1770年前後に、あるに違いないと伝説になっていた南極大陸「Terra Australis」を探しに行って、2回失敗しています。それで、クックは「南極大陸はない。あったとしても英国人は住めない」と言って、世界地図から南極大陸が消えるということがありました。だから、1820年以降にしか南極は地図に現れないんです。

――南極の地図は、正確には決まってないんですよね。衛星の観測したものをトレースしてるだけで、4000メートルの厚さの氷が溶けてしまったら、どのくらい面積があるか分からないとか。

鳴川 “海岸線”が氷の状態によるから、規定しづらい。

大陸ってダイナミックなんだなぁと感じられたのも、オーサグラフを作っていて面白かったことですね。

また、ダイナミックな世界観に関して思うのは、「極東」とか「東西問題」という言葉は、メルカトル図法から生まれたものでした。いま、その世界観はどうなっているのかというと、分かりやすい例で言えば、G7がG20になりましたよね。つまり、少なくとも経済の中心地が20か所あるということ。そういうふうに、世界が多中心化してきていると考えています。

平本 音楽でも、昔だと、パリやウィーンといった世界の中心都市があった。それが分化されていき、都市間で音楽の流行の力点が移動する傾向にあります。

鳴川 移動する理由って何なんですか。

平本 それが分からないんですよね。ちなみに、つい数年前までドイツのベルリンが面白いと言われていましたが、いまはスウェーデンやノルウェーあたりにシフトしているという話も聞きます。

鳴川 ベルリンの壁が崩壊した時に、現地の再開発のために、建築家が集結したことがありました。そのあと、アジア危機をきっかけに資金が流入したオランダのアムステルダムにベルリンから建築家が押し寄せて、オランダが建築界のトップに躍り出た。その後、スペイン、ロンドン、モスクワ、上海やドバイに中心が目まぐるしく移っています。

建築デザインの潮流とか中心は、オリンピックや万博、金融、政治、経済と連動しています。

平本 そう言われれば、音楽でも、インターネットが発達する最近までは、流行と物流とが関わっている側面がありました。大航海時代からそうですが、貿易した相手地域の音楽を輸入して、取り入れていたんです。ジャズはもちろんのこと、いわゆるクラシックの歴史もその文脈で捉えることができます。

もっと遡れば、シルクロードがなければ、音楽の歴史の半分はなかったと言っても大袈裟じゃないくらい、その役割は大きかった。物流に伴い、音楽と楽器の移動があり、楽器の発展もありました。

だから、オーサグラフで音楽の歴史を地図化すると面白いんじゃないかと思います。

鳴川 そういったテーマ史のレイヤーを増やしていこうと思っています。例えば、科学史と戦争史を合わせて、科学界での発明である火薬がどこから伝来して、日本の勢力図がどう変わったかを、視覚的に表現することができると思います。

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