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東京を巡る対談 月一更新

鳴川肇(建築家)×平本正宏 対談 遠隔地の風景と時間軸の作図法

<建築のスタート地点と結びついている>

平本 最後になりますが、今日、「鳴川さんにとっての東京」として、科学未来館をお選びになった理由を語っていただけますか。

鳴川 この3年半ぐらいここに足を運んで、プロジェクトを進めてきたということもあるんですけど……。

僕は、芝浦工業大学が母校で、お台場対岸の芝浦埠頭にあります。1990年から94年までいたんですが、その頃は芝浦側にもお台場側にも何もなかった。で、学校で、芝浦埠頭3万平方メートルぐらいを地域開発する目的で、ありとあらゆるものを設計しろという課題が与えられました。レインボーブリッジをもとに大開発が行われるから、そのビジョンを描け、と。

それで、何度も周辺を歩きまわって、写真を撮ったり、地図を眺めたりしていたんですが、結局、都市博が中止になり、更地のまま残ったなぁ……という思い出がある。

でも、都市博がキャンセルになったあとに未来館はできた。いまは建築家というより地図の人になっちゃったけど、「ジオ・コスモス」(科学未来館のシンボル展示である地球ディスプレイ)も建築規模と言えるくらい巨大なプロジェクトだし、それに携わることができ、建築のスタート地点と現在が結びついている場所だと感じたので、未来館を選びました。


鳴川さんは巨大な地球儀「ジオ・コスモス」を含むつながりプロジェクトの基本設計にたずさわった

平本 偶然にも、大学のあった地域と、いまプロジェクトとして関わっている地域が重なったんですね。

いまのお台場を見て、何か感じるところはありますか。

鳴川 不思議な感じがします。歴史がまったくない街。例えば、どの国でも国際空港って町外れにありますよね。そこから市街地へ行くのに、電車とかバスに乗っていると、新興住宅街が見えてくる。そういうところに近いものがありますね。

20年前に設計課題で描いた街が頭のなかにはありますが、現実にできたお台場の街並みとがうまくリンクしていない状態です。


ジオ・コスモスを下から見上げる

(構成/間坂元昭)



鳴川肇(建築家) Hajime Narukawa

1971年生まれ
2001年VMX Architects入社。2003年佐々木睦朗構造計画研究所入社。2009年AuthaGraph株式会社設立。
2011年6月、日本科学未来館にて基本設計、実施監修に携わった大型球体ディスプレー(ジオコスモス)と世界地図アーカイブ(ジオパレット)およびインタラクティブボード展示(ジオスコープ)が完成。
桑沢デザイン研究所、東京造形大学非常勤講師。日本科学未来館アドバイザー

オーサグラフ世界地図の詳細はオーサグラフホームページまで
http://www.authagraph.com

現在、日本科学未来館「つながり」プロジェクトのGeo-Cosmos(ジオ・コスモス)、Geo-Scope(ジオ・スコープ)、Geo-Palette(ジオ・パレット)では、「オーサグラフ」を使った“中心のない地球”という、新しい地球の捉え方を提示しています。
日本科学未来館「つながり」プロジェクト 特設サイト
http://www.miraikan.jst.go.jp/sp/tsunagari/

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