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東京を巡る対談 月一更新

鳴川肇(建築家)×平本正宏 対談 遠隔地の風景と時間軸の作図法


<「女子供には受けない」と無茶ぶりされ……>

平本 最初は写真を研究対象にしていて、それを地球に置き換えてもできると分かって、さて、いざ出来上がった地図を目の前にした時、どういう思いを抱かれました?

鳴川 う~ん、どうだったかなぁ……。

平本 ちなみに、いつ頃ですか。

鳴川 一番最初にアイディアが閃いたのは1999年で、完成させたのは2000年の春ですね。

やっぱり、すごく感動しましたね、その時は。世界が変わるかもしれない! ぐらいに思いました。それから現在まで12年間研究を続けています。

弁理士の平井正司さん,デザインサイエンティストの梶川泰司さん,建築家の遠藤治郎さん,市川創太さんにも協力やアドバイスをいただいてきました。

実はその間、もっと面積が正しいバージョンも作ってたんですよ、でも形は不自然なくらい歪んでいる状態の。それで満足してた部分があったんですが、男子は喜んでくれるのに、僕の妻とかは「面積が正しいのってそんなに大事?まだ歪じゃん」っていう辛口の評価をするんです。

平本 へぇ~。

鳴川 面積はちょっと大雑把でもいいから、形の歪みもバランスよく取り除いて、日本が真ん中でアメリカが右、ロシアが左というこれまで親しんできた世界地図の構図に似せたものを作らないと、女子供には受けないわって言われ、しかも大陸は一切切れてないのがいいと無茶ぶりされて。

それから2か月ぐらい泣きながら頑張って、投影方法を改善しました。同時に、地図の端で切れてしまうニュージーランドとか大ッキライになって(笑)。あとね、アイスランドも……ちょっと大陸移動してほしい、それまで待とうかな、みたいな(笑)。

けれど、それでいまのバージョンが完成した時は、相当感動しました。

――その時、建築家として何か思うところはありましたか。

鳴川 建築家の仕事って、空間を構築する仕事。ですが、これだけ遠隔操作技術が発達してくると、「遠隔地の」空間を「再」構築することも仕事に含まれてきます。

ルネサンスの偉人を例に挙げるのもおこがましいですが、透視図法を案出した建築家のブルネレスキなりダ・ヴィンチなりブラマンテも、空間をどう表記しようか、一所懸命考えたでしょう。その延長で、ダ・ヴィンチは世界地図を提案していますから、世界地図を作ることは建築家の一種の仕事だと言えます。

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