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東京を巡る対談 月一更新

村上祐資(極地建築研究者)× 平本正宏 対談 月より遠い南極〜薄曇りの極夜に音は潜んで

<「宇宙より南極のほうが遠いからね」>

村上 バイオスフィア2が頭にあるためか、どうしても極地に1年以上はいたい、という思いがありました。それくらいのスパンを設定してようやく、人間の心理状態の紆余曲折が記録できるのではあるまいかと。極限環境に身を投じることで、自分がどう変わっていくのだろうか、あるいは、自分はどこまで堪えられるのか。それが知りたかった。

平本 隔離されているという意味で、南極の環境は宇宙に近いですよね。南極に行こうと思い立ってからは、すぐに行けたんですか。

村上 4年ぐらいかかりました(笑)。いろんな伝手を頼って。建築の研究を名目にして行かせてもらえるのか、という問題もありましたし。国立極地研究所が派遣者の選定や研究計画を決めていますが、選んでもらうために、いろんなシンポジウムに顔を出しては自分の研究をプレゼンしてまわり、直談判や、最後には泣き落としもしたりして(笑)。選ばれるために何でも身に着けようと、重機の免許を取得したりもしました。

平本 そして実際に行ってみて、極地の感覚を、確たるものとして感じられましたか。

村上 南極に行く前に、メディアの人などに「南極へ行って何をしたいですか」という質問を多くされました。ですが、僕の一番の興味は、バイオスフィア2が目指したような極地環境において、自分を含め、人がどう変化するのか、どう適応するかということ、そのうえで、隔離された環境ではどういう生活空間が必要なのかを考えたかったんです。


南極でも使用した腕時計

    南極へ派遣されるまえ、宇宙飛行士の向井千秋さんとお話しする機会があり、そのとき、「宇宙より南極のほうが遠いからね」と面白いことを言われました。最初、「えっ?」となりました。普通の感覚なら、その逆ですよね。どうしてかと聞いたところ、緊急事態が起こったからすぐに帰還しなさいと地上から指令を出されれば、宇宙ステーションからは40分もあれば帰れるよ、と。でも、南極へ一旦行ってしまったら、翌年船が来るまで帰れない。万一、レスキューが必要になりセスナを呼ぼうにも、極夜のあいだは無理だし、日があってもブリザードが吹き荒んでいたりして、下手したら、3か月も待たなければいけない。だから、南極で生活することの困難さのレベルは異次元の域であると話されました。


ブリザードの光景(撮影:村上祐資)

平本 対談のまえに伺いましたが、現地へ行くのでさえ、オーストラリアから1か月かかるというのも、気の遠くなる話ですよねぇ。流氷を砕きながら、時には一日数百メートルしか船が進まないこともあるとか。そうなると、地図上での距離感と実際に感じる時間感覚に甚だしい乖離があるでしょうね。

村上 南極で、日本にいる家族に不幸があっても戻れないところにいるんだと想像したとき、心苦しいものがありましたね。ボディブローのように効いてくる苦しみ(笑)。

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