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東京を巡る対談 月一更新

上田岳弘(作家)×平本正宏 対談 喜びと悲しみの表現面積



<社会の進化を突きつめるとどうなるのか?>

平本 マクロの視点と言うと簡単なんですけど、『太陽』にはとても大きな機構、世界や時間や宇宙という機構の中での人間の行動を見せてもらっている感じがするじゃないですか。そういう視点はどのようにして生まれてきたものなのでしょうか。

上田 僕の場合は、大抵疑いから始まっています。例えば、自分の自我を疑う、つまり自分自身を自分だと思って区別するのが、果たしてそれが良いのか悪いのかっていうことです。よく他人のことを想像してみろって言うじゃないですか。それをいっぱいやっていくと、結局全人類のことを想像しなくてはいけなくなりますよね、おそらくそれは掛け声的な意味だと良いことなんですよ。全員の心を大事にして、全員を把握しつつ、あくまでも自分はその中の1人として正しく行動するっていうのは、確かに良いことではあります。ですが、そういうマクロな視野を広げていって、果たしてそれに個人が耐えることができるのか。その時良いこととされるものがどうなっていくんだろうというところが、最近ではとても気になりますね。

平本 どうなるんだろうというのは、自分が書く世界も含めて、ということですか。

上田 社会とか世界そのものですね。男女差別があった時に、女性にもちゃんと参政権を与えるべきだとか、子供の人権云々というのも出てきて、それぞれの立場を想像した結果、多分社会は進化していくんですけど、それを突き詰めていくとどうなるんだろう。究極でいうと、全員を把握できてしまえばどうなるんだろうって考えたりしてますね。

平本 なるほど。全体のことを考えて、皆に愛される。それはなんか美徳とされているところがありますけど、相手の対象を広げれば広げる程、音楽が薄っぺらくなってしまいますね。

上田 それが直ちに良いこととされているのが、最近ではふと不思議になったりもするんですけどね。音楽でもそうですね、確かに薄くなっちゃいますよね。

平本 今まで作曲の勉強をしてきたので、人の作品も知っているし、歴史などもある程度把握しているつもりです。モノを造る時に歴史を知っていることってすごく重要だなって思うんですよね。音楽がどういう道を経て変化してきたのかとか、逆にどう変化しても変わらないものは何かとか、客観的に知ることでその本質に近づくことができると思うんです。

それで、そういう中で自分が歴史の上に立つならどうするだろう、ということを大学生の頃からとても考えるようになったんですよ。歴史をふまえたり、どういう作曲技法をふまえて現代の技法になったのかを考えた上で自分は何をしなければいけないのか、どうチャレンジできるかを考え始めたんですね。そういうことを20代半ば、じゃないですね、もう昨年とか1昨年ぐらいまですごく考えていたんですよ(笑)。



ところが、あるYoutubeの動画を見て考えが変わったんです。イームズ夫妻が作った「Power of Ten」ってあるじゃないですか、地球上から宇宙のマクロな方へ×10、×10、×10とどんどん広がっていくのと、体内のミクロな方に×10、×10、×10とどんどん小さくなって行く映像作品、その宇宙へ行く方の最新版みたいのがあって、多分どこかの研究機関が作ったものだと思うんですけど。地球からどんどん離れて行って現代物理学で観測できる宇宙の端まで移動していくんです、3分半くらいの時間で、映像には何光年先というのが示されるんですが。この映像を見るとですね、地球がいかに宇宙の中で本当に小さい存在かということがわかって呆然としたんです。

昨年宇宙をテーマに展覧会を行ったときに、人類が太陽系の外に出ることさえ相当難しいことを調べて知っていたのですが、そんな太陽系すらもチリのように宇宙は大きいということを見せつけられて。それでこの地球に自分が生きているのはかなり奇跡的なことだし、そんな小さな奇跡的な生き物が歴史とかなんとかを考えるのは果たして意味があるのだろうか、いや無いだろうなと急に思えてきまして(笑)、恐竜が絶滅したレベルの天体衝突も大体1億年に1度は起こるそうですし、本当に奇跡的なのだなと。ならむしろできる限りエゴイズムな表現を突き詰めたいなと。

マクロ的視点もミクロ的視点もどちらにも言えると思うのですが、普通を遥かに超えて巨大にマクロに、極小にミクロに物事を見ると全然違う発想や考え方を得られるのだなと実感しました。僕の場合は自分という個人に対する考え方が変わった訳ですが、『太陽』にもそういう視点があってハッとさせられたんです。マクロが広がった先にある地球の存在感のもろさというか、それが結果的に人間がいまを生きていることに繋がる。

上田 なるほど。今おっしゃった中の1億年に1回リセットされるっていう話なんですけど、リセットされる中ではいくつか大勝負があるんですよね。その1億年のスパンで他に逃げるとか。「1億年の間でなんとかする」というゲームを皆でやっている感じもしてきますね。小説にも書きましたけど、1億年ある中であらゆることを経験した、全てのことをやり尽くしました、それでもまだ生きていますという人がいたとして、その人があと100年だけ生きる時間をあげましょうと言われたら、どういう風に生きようとするか。たぶん、運、偶然という自分に絡んでくるものをすごく大事にして生きるんじゃないかなと思うんですね。

平本 あー、それはすごく分かりますね。

上田 そう考えると、今の僕も、全てをやり尽くしたあとに生きる生と同じことが出来ているという風に思うこともできるんです。

平本 なるほど、それはそうですね。なおさら自分が生きてきてどのような人と出会うのか、どのような事柄に対面するのかということに対する心の強度が増しますね。

上田 エゴイズムの話がありましたけど、個人のふとした思いつきだとか、現象の中にみた傾向だとか、それらを歴史に関係させて表現したら面白がられ得る。現在のこの状況が、表現したいという欲求に直結してくるように思いますね。

平本 そういうエゴイスムみたいなものをもっと突き詰めようと思った時に、強度のあるエゴイスムってなぜかいろんな人に共感されるんですよね。人に共感されるものを狙って造ったモノは、どんな分析や理論を基にしていてもあまりしっくりこないのに、嘘をつかないで自分自身がやりたいことを突き詰めてできた作品は、多くの人の共感を得たり。人はやっぱり1人1人の人生を生きているから、1人の生き様をまざまざと見せつけられる、何か吸いよせられるものがあるんだなと思って。『太陽』に惹き付けられたところもそういう理由なんじゃないかと思います。

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