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東京を巡る対談 月一更新

苅部直(政治学者)×平本正宏 対談 80年代の自由が背中を押してくれて


<記憶の向こうの源流>

苅部 平本さんご自身の印象で覚えているんですか?

平本 はっきりとした記憶ではないのですが、家によくオペラ、オーケストラを伴った歌曲が流れていたという印象はあるんです。そこから10年、20年と経って、作曲をしていて、そのときに選ぶ音色だったり、発想だったりがどうもそこに源流を感じる。

苅部 はっきりとした形をもつ明確な記憶にはなっていないけれど、体の感覚のうちに残っているということはあるでしょうね。視覚と聴覚の違いについてよく言われることですが、視覚の場合は対象との距離が近すぎるとかえって見えにくいから、少し離れて見ることで形をとらえてゆく。自分の身体を対象との間に距離を保つんですよね。これに対して聴覚では、音が耳の中に振動が入ってきて、じかに体に触れてきますから、いったん染みついた記憶がずっと残りやすい。

平本 その話は体感的に分かりますね。そういう感覚は自分の中にもあると思います。

苅部 もっともこの考えが行き過ぎると、子供がお腹の中にいるうちからモーツァルトを聴かせましょう、というような話になる。本当に効果があるかどうかわかりませんけどね(笑)。

平本 あの胎教として聴かせる音楽は、母親が嫌いな音楽だと難しいみたいですね。

苅部 なるほど、親自身が好きで楽しんでないと意味がないんですね。確かに、自分になじみのない音楽を聴いているときは、どこか自分の耳と音との間に壁を作りながら聴いているような感じがしますね。

平本 それを自分の子供のためだと思って仕方がなくモーツァルトを聴くとその不快さが子供にも伝わるんだろうなと思います。

苅部 高校生のころ読んだ少女漫画で、若い主婦の出産と子育てを物語にしたものがありました(酒井美羽『ミルクタイムにささやいて』)。そのなかで、胎教のために部屋にモーツァルトを流しているんだけど、母親自身はヘッドホンでロックを聴いている(笑)。

平本 なるほど(笑)。

苅部 それはむしろ、胎児の精神の安定にいいのかもしれませんね(笑)。

平本 なんか脳波的には大丈夫そうですよね(笑)。ロックを聴いている本人は楽しいでしょうし。それは気づかなかったですね。それならいいかもしれないですよね(笑)。

苅部 あるいは逆効果で子供の音感が破壊されるか、どっちかでしょうね。

平本 その子供が将来、ものすごいノイズミュージシャンになるかもしれないですね(笑)。

苅部 あ、そうかもしれない。きわめてポリフォニックな。

平本 あははは。

そういう幼少期の体験に基づいた自分の居心地の良い空間にいても、育っていくにつれ活動範囲も広がり、そればかりでは生活できなくなります。時には自分の好きではない空間にも接しなくてはいけなくなる。だからこそ、自分にとってメインとなる活動や活動場所の位置づけは大切になると思うのですが。苅部さんにとって、いままで研究されてきていることというのは、人生の中でどう位置づけられてきていますか。

苅部 大学院に入って研究者生活を始めたのが23歳のときだから、もう26年にもなっていて、その前の人生の期間よりも長いんですよ(笑)。だから研究者としての活動が、すでに人格の一部みたいになっていて、うまく対象化できないところがあります。

もともと、家に本が多かったんですよ。父親は公務員なんですけど、文系の大学院を修士まで出ていてね、半分くらいは研究者のようなもの。その専門の本が大量にありました。

平本 分野はどういったものだったんですか。

苅部 中国哲学科出身でしたから漢文の古い文献も含めて、子供時代から本が家にあるのは当たり前という感覚でしたね。それで思い出しましたが、大学院生のとき、研究棟でほかの人と一緒に本棚と机を専有して勉強している部屋に、友達の理系の院生が遊びにきたことがありました。その女の子はぎっしり並んだ本棚を見て、怖いって言いましたね。慣れていない人にとっては、本がたくさんある光景それ自体が怖い。

平本 その恐怖はどういう種類の恐怖なんでしょう。

苅部 その人も図書館や本屋については、たぶん怖いとは思わない。だけど、その人が大学の研究室はこういうものだろうと思い込んでいるイメージが別物だったから、本だらけの研究室が異様に感じたのかもしれませんね。

平本 その人が育った環境によってはそういう反応も十分ありますよね。苅部さんはお父様が研究をされていたということもあって、そこに対する違和感は感じなかった。

苅部 研究しているのが儒学も含めた日本思想だから、結果としては父親の仕事と重なっている部分もあるんですね。ただ非人情かもしれませんが、同じことをやっているか継承しているという意識はないんですね。だから院生生活をやっているとき、父親が定年で仕事をいったん辞めて家で勉強を始めたときに、何だか居心地がわるかった。

平本 それはそのお父様が大学院のときにされていた研究の続きを?

苅部 まあそうでしょうね。でもこちらは、同じ家の中に勉強している人がほかにいると、何だか気分がよくないんですね。自分勝手ですけど(笑)。

平本 なるほど。それは分野が違ってもダメだったのですか?

苅部 幸い、大学に大学院生の研究室があったから、そちらで作業していました。イライラが昂じて金属バットで親を殴るようなことにはならなかった(笑)。

平本 ありましたね、そういう事件。ちょうどその時代ですか?

苅部 金属バットはもっと前。僕が高校生のころ(1980年、川崎市高津区での事件)でした。あの息子は海城高校の出身だったようですが、開成でもそんな事件がありましたね。

平本 確か、金属バットで家庭内暴力をしていた開成高校の生徒をその父親が殺したっていう事件だった気がします。

苅部 たまたま先の事件で殺されたお父さんが僕の高校の卒業生だった。在学中によく話題にしていたので印象に残っているんです。

平本 高校や大学の名前は付いて回りますよね。当然というべきか、いいことよりは悪いことの方がすぐ名前が出たりして。

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