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東京を巡る対談 月一更新

苅部直(政治学者)×平本正宏 対談 80年代の自由が背中を押してくれて


<安部公房の魅力>

平本 苅部さんの『安部公房の都市』でも感じたのですが、政治思想以外にも色々な分野、色々な場面の日本を見られていらっしゃいますよね。日本を見るという視点は、政治思想史を研究されて培われていったものなのか、それとも昔からあったものの延長線上のものなのかお聞きしたいです。

苅部 両方でしょうね。安部公房の作品でも、公房ファンはあまり好まない『榎本武揚』を、僕の本がとりあげているところが、そういう日本への関心を一番反映しているでしょうか。前近代の日本の儒学思想や武士道について知っていますし、幕末から明治にかけての時代についても一定の知識がある。そのおかげで『榎本武揚』をおもしろく読めたんだろうと思います。

平本 安部公房は昔から好きだったんですか?

苅部 小学校のころから名前は知っていて、読み始めたのは高校時代から。『安部公房の都市』を連載していたのと並行して、いちおう全集にも目を通してはいます。でも、ヤマザキマリさんが『方舟さくら丸』について語っておられたような、人生の大切な時期に深い感銘を受けたというほどの熱烈な愛読者ではないんですね。作品の半分くらいは、公房論を書こうと思ってから読んでいますから。

平本 安部公房の本を題材にした理由というのは何ですか?

苅部 最初の構想は、満洲や朝鮮など日本の旧植民地出身の作家を何人かとりあげるというものだったんです。安部公房のほかには、五木寛之とか別役実とか、そういう作家たちの共通性を探るとおもしろいのではないかと。ただ実は、そういう作家は結構多いし、同じようなテーマで本を書いている方もすでにいるので、どうしようかと考えているうちに、安部公房一人だけでも、十分にいろいろな角度から論じられると気づいたんですね。

もともとそういう切り口から出発した安部公房論なので、『けものたちは故郷をめざす』とか『榎本武揚』とか、ファンの方はあまり好まない作品に焦点をあてることになりました。ヤマザキマリさんが感銘を受けたという『方舟さくら丸』も、僕にとってはあまり面白く読めなかったんです。これも含めて晩年の小説は、どうも初期や中期の作品の二番煎じかパロディのように思えてしまって……ヤマザキさんの評価も、それはそれで純粋な受けとめ方なんだろうとは感じるんですけどね。

平本 では、逆に苅部さんにとって一番面白かった作品というのは何ですか?

苅部 やはり『燃えつきた地図』、『他人の顔』のあたりでしょうか。ただ『他人の顔』は映画の方が面白いと思えてしまったので、本ではとりあげませんでした(笑)。

平本 あの映画の最後のシーンとかすごいですよね。

苅部 こういうことを言うと、安部公房ファンからは嫌われるでしょうけど。

平本 『燃えつきた地図』の映画も良いと思うんですよ。評価はそんな高くないですけど(笑)。

苅部 『他人の顔』は映画を先に見たのがいけなかった。

平本 実は僕も映画を先に見ちゃったんです。

苅部 『燃えつきた地図』の方は先に小説を読んだから大丈夫だったのかも。

平本 映画『他人の顔』は武満徹さんの音楽が良かったんですね。僕は、こういうこと言うと武満ファンから怒られますが、『他人の顔』のワルツが武満作品で一番好きなんです。というか、他の作品は全然好きじゃないです。色々聴きましたが、どうもピンとこないままでして。

苅部 『他人の顔』の映画で美術を担当した三木富雄も、好きなアーティストです。耳の彫刻を造り続けた人で、たしか診察室のシーンにも耳のレプリカが並んでいた。

平本 あの診察室はかなり面白いですよね。

苅部 磯崎新さんも美術を手伝っていますね。ビヤホールの場面に、磯崎さんも武満徹さんも客として出てくる。

平本 飲んでますよね。結構楽しそうにおしゃべりしてビール飲んで、ステージでは石川セリがワルツを全然うまくないドイツ語で歌っていて。大学生の頃にあれを見て、自分も映画音楽を作るようになったらビアホールや居酒屋のシーンに出してもらおうと思いました(笑)。

確かに言われてみると、後期の作品では安部公房が安部公房のパロディをやっているものになってしまっているのが何となく分かりますね。

苅部 やはり『箱男』以降は、ずっとスランプに陥っていたように思います。ひょっとしたら、ある種の成熟ともとらえられるのかもしれませんが。

平本 なんか山口果林さんの本にもありましたけど、後半はかなり執筆に苦労されていたみたいですね。

苅部 家庭生活にも苦労していた時期だったんですね。

平本 そうですね。

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