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東京を巡る対談 月一更新

苅部直(政治学者)×平本正宏 対談 80年代の自由が背中を押してくれて


<大学院で決める専門分野>

平本 話をすこし戻しまして(笑)、僕は作曲を日常の仕事、研究として接していますが、大学や大学院の学生時代に意識してやっていたものが、いつの間にか意識せずに日常のサイクルの中に入り込んでいることがあります。習慣化されて、逆にそれをしないと違和感があったり。研究者になると決められたときに、それまでの生活との切り替えがあったり、新しく習慣化しようと意識されたことはありましたか?

苅部 もともと本を読むのは子供のころから慣れているし、大学に入ってからは専門書など読むときにメモをとったりしていました。だから研究生活に入るときも、がらっと生活スタイルが変わるという実感はありませんでしたね。もともと、研究者になることも選択肢の一つだと思っていたせいもあったのかな。

たとえば作曲科の大学生が卒業制作で曲を作る。それは一般の大学だと卒業論文にあたるのですが、法学部は卒業論文がない場合が多くて、うちの大学もそう。つまり、憲法、民法、刑法、政治学、政治史、政治思想史……といった、必修科目・選択科目の試験をそれぞれ受けて、必要単位数までそろったら卒業できるわけです。しかも僕のころは大学院入試も筆記試験と口述試験でしたから、長い文章を書いた経験のないまま大学院に入ってしまう。そして、いきなり修士論文。

平本 それは意外な事実ですね。てっきりかなりの数の文章執筆を学部時代に経験するものだと思っていました。ということは、3、4年生のゼミで書く準備をするということもなく?

苅部 ゼミによってはゼミ論文を書かせていましたが、僕が出たものはそうでなかった。

平本 なるほど。僕が先攻していたコンピューター音楽も大学の課題だけやっていれば年間に2作品くらいの作曲で済みますが、それでもやはり曲を書く経験は積みますから。

日本の政治思想史を専攻し始めたのはいつですか?

苅部 大学院からですね。法学部の学部教育は、専門課程とは言っても、法と政治を中心にした教養教育のような性格があります。だから、学部学生の段階で何か一つの専門分野について集中的に勉強するということがない。初めから研究者になろうとして、政治思想なら政治思想に自分で重点を置いて勉強する人はいるでしょうけどね。しかも東大の場合は、ゼミも半年単位で、3・4年生の間に最大で4つ履修できますから、ますます一つの専門に特化する感じではなくなる。

平本 ちなみにそのゼミは全部違ってても良いんですか?

苅部 まったくバラバラでもいい。だから何か一つの専門分野に集中して勉強するという経験を、カリキュラム上は積みにくいんです。だいたいの傾向としては今もそう。

平本 という事は大学院に進む時に初めて専門を決めるという事ですか?

苅部 無茶な話かもしれませんね(笑)。いちおう今は、大学院の入試で論文を書いてもらうコースもありますけど。

平本 それはやはり、あまり大学院という進路が一般的でなかったからでしょうか。法科大学院の制度ができてからは少し違っていると思いますが。

苅部 同じ文系でも文学部と違って、卒業生の大半は企業にいったり、弁護士になったり、公務員になったりで、法科大学院に行く人も含めて実務の方に行きますよね。もともと大学院に進んで研究者になるのはごく少数なので、カリキュラムが一般教養風になるのは、そうした事情とも関連していますね。僕のころは、ペーパーテストで大学院に入り、最初の長い文章としていきなり修士論文を書いて、それがもう学会誌に載ったりしたわけですから、よくその制度で研究者が育ったと思いますね。いまは制度も多少変わったし、大学院の研究指導もみな丁寧にやっていますから、環境はだいぶ変わっていますが、この体制で持っているのが不思議だと思うこともあります。もちろん院生の人たちが熱心にがんばっているせいもありますけどね。

平本 苅部さんは大学では修士の論文の指導もするんですよね?

苅部 しますよ。修士も博士も。

平本 学生は今どれくらいいるんですか。

苅部 自分が指導教員になっているのは4人ですね。全員博士課程。

平本 修士がいないのはたまたまですか?博士課程しか指導していないというわけではなく。

苅部 この2年、入ってくる人がいなかったから。

平本 なるほど。

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