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東京を巡る対談 月一更新

野村佑香(女優)×平本正宏 対談 子役から女優、そして母への軌跡

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<モデルから役者へのターニングポイントになった「怪奇倶楽部」>

平本 そもそもモデル事務所に入ったきっかけは何だったのですか?

野村 母の友達からやってみればと勧められたのがきっかけです。3歳のときの初めての仕事を今でも覚えていて、撮影の時を覚えているというより、終わった時に人形を貰ったのが嬉しくて覚えています。桃に入った桃太郎の人形で、桃が開けられるようになっているんです(笑)。そんな感じで最初が楽しかったから、その後もずっとやってきました。

平本 その最初の体験は大きかったでしょうね。音楽もそうですが、やっぱり最初が楽しいと続けていけますよね。子供の頃なんて特にそうだと思います。ちなみに、その桃太郎の人形はまだありますか?すごく見てみたいのだけど(笑)。

野村 幼稚園の子供にあげちゃったかも。すごくクオリティ高かったんだよね。

平本 そのときのお仕事は桃のCMとか?それともお人形の?

野村 そのぬいぐるみとは全然関係ないおもちゃのパッケージの仕事でした。

平本 あ、桃太郎は仕事と関係無い人形だったんだ(笑)

3歳の仕事から小学5年生のテレビの仕事までは、ずっとモデルの仕事を?

野村 そうですね。雑誌「小学1年生」の表紙をやっていたりとか、スーパーのチラシもやっていました。CMのオーディションも受けてガンガン落ちていたし、そのときの自分にとって仕事は部活みたいな感じだったんじゃないかな。

平本 やはり「怪奇倶楽部」の仕事は佑香さんの中で大きいものでしたか?

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野村 大きかったし、今でも色々な人から見ていたと言ってもらえるので、ターニングポイントだったのかなと思います。同年代同士で芝居をやるのも初めてだったし。1年3ヶ月も放送が続いたんだよ!自分たちで工夫して芝居をしていたりもしたので、演技って楽しいなという自我が芽生えたのもその頃でした。

平本 ちょうど小6から中1くらいですよね。

野村 そうです。そのあとも木曜の怪談シリーズで女の子4人で主役をやらせてもらったりもしました。

平本 「小学6年生」という雑誌を定期購読していた時期があって、中を開くといつも佑香さんが記事になっているんですよね。「怪奇倶楽部」は友達もみんな見ていたし、あの番組から佑香さんの活動が広がっていくのはリアルタイムで覚えていますね。

野村 それは同年代としてはどんな感じでした?

平本 それまでドラマとかで同世代や少し年上の子役が出ても、ちゃんと演技できてないなあ、と素人のくせに感じていたのですが(笑)、「怪奇倶楽部」はそういう感覚が全く無かったんです。だから、すごいなあ、大人のようにお芝居できる人がいるんだなあと感心して見ていました。

野村 子供達が主役のドラマがなかったのかな。

平本 そうかもしれないですね。「怪奇倶楽部」のちょっと前に「家なき子」があって話題になっていましたが、安達祐実さんの周りは大人だったので、子供だけで作られている「怪奇倶楽部」のインパクトは強かったですね。

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