平本 最初の新潮新人賞への応募作品はどういう小説だったのですか?
上田 その時は若い通り魔の男の話でした、『真夜中の歩き方』っていうタイトルで。たぶん検索したら出てくると思います。
平本 どこかで読めますか?
上田 読めないです、ごめんなさい(笑)。
平本 その疑いつつも、離れられないというのが面白いですね。
上田 なるべく弦を引き絞りたいというのがあって。日本社会の中で個人として色々やってみて、どこかで全力で小説家になろうという衝動を否定しながら生きてきて、全力でやっていった末に、どこかで小説家になる夢とクロスすると良いなと思っていました。パンパンに張り詰めたところであえて書き始めることで、面白いことが起きれば良いなと思って。デビューしたタイミングも良かったんですよね。これから37歳ぐらいになってくると、40代の仕事の準備をしなきゃなんないでしょうから。もちろんそこでデビューでも良かったんでしょうけど、とりあえず10年くらい色々やってみて、社会のこととかこんな風かなっていう雰囲気が分かってきた30代から始めたかった。それはあくまで僕の好みで、それが良いと主張しているわけじゃないですけどね。
平本 そういった意味では日本の社会人として自分でもいいと思える経験を積んだ20代を過ごしたってことですよね?
上田 けっこう濃い、2度とやりたくないような20代を過ごしました(笑)。会社の立ち上げが大変だったので。
平本 25歳頃に会社の立ち上げに関わられたと新潮新人賞の際のインタビューで拝見しましたが。
上田 そうですね。会社の代表は大学時代の友人なんですが、社長の彼に誘ってもらって働き始めました。ちょうど今年で10周年なんですよ。ただ、もう1回同じ事やれって言われたらやる自信が無いですね。十円ハゲとかも出来ましたし。
平本 そんなに大変だったんですか! ベンチャーだからという部分もあったのですか?
上田 いやあ、全部のベンチャーが大変ということではないと思いますけどね。10年以上持つベンチャーって10パーセント以下じゃないですか。3年持てば、まあまあかなってところで。10年持てば、しばらくは戦えるという印象です。
平本 じゃあそういう節目節目は大変だったんですね。
上田 僕が担当しているのはごくごく一部ですけどね(笑)。
平本 そういう意味では僕は入った大学も音大だったし、大学院まで行っちゃったんで、逆に他の道に逸れようが無いっていう状態でしたね。
上田 そもそも聞きたいんですけど、音大に行こうと思ったのはご自分の意志なんですか?
平本 自分の意志ですね。それこそ不思議な感じなんですけど、3歳からピアノをやっていた訳でも無いんですよ。ただ母がオペラが好きで、よく家の中でオペラが流れているっていう状況で育ってきたんで、音楽に接することに対して抵抗が無かったんです。それに加えて小学校の頃から、音を聞くとそのメロディが弾けたんですね。小学生の頃は和音は分からないけれども、縦笛とか鍵盤ハーモニカで当時流行っていたアニメのオープニングやゲーム音楽を弾けるくらいは出来ていました。それで中学に入った時にスピッツとかミスチル、小室哲哉が流行っていた時期で、こういうの格好良いなと思っていて、独学で始めたんです。家にピアノも無いし、親にねだってキーボードだけを買ってもらって、1人で黙々と練習していました。そうしているうちに、今度は曲を聴くとメロディと和音がすぐわかるようになって、そこから曲ってこういう風にできているんだということを勝手に学習していったんです。それが積もっていくと、マネして曲を書き始めるようになって。中学1年の終わりには見よう見まねで作曲していました。
上田 芸大ですよね。演奏とかは無いんですか?
平本 一応簡単なのはありますけど、楽器の専門でもないので。僕がいたのは、コンピュータ音楽がメインの学科だったんです。受験も入れると思わず受けたら運良く受かったという感じで。僕としては、作曲家になりたいと思って芸大を受けたので、受かっただけで絶対になれると保証されたような気になっちゃって(笑)。
上田 ある種、逃げも塞がれたんですよね。
平本 そうですね、でも本当に作曲しているのが好きだったんです。大学受験では一般大学がメインだったので、どちらかというと勉強の合間に作曲をしていて、勉強していないと怒られるような状態だったわけですが、大学入ったら状況が180度変わって、作曲をしないとダメな訳ですからなんとも自分にとってはオイシい状況だった(笑)。
だからとにかく曲を書いて、音楽を聴きまくって、自分は将来一生作曲家として安泰なんだって思って過ごしていたんです。でも実際は作曲で稼がなきゃいけないし、音楽業界が大不況の時に大学院を修了したので、仕事なんかそんなに無いですし。それで初めて25の時に現実を突きつけられたって感じです。もちろんその時点でいくつかお仕事はもらっていたので、全く作曲で稼げないという訳ではありませんでしたが、「ああフリーランスになったんだな」と妙に実感したのを覚えています。あと、大学院まで行っておきながら、大学があまり好きじゃなかったのでなんか清々しましたね(笑)。
ただ、なんか曲を書くことに不安が無いんですよ。もちろん今まで何回も曲を書く上で壁にもぶつかっているし、これじゃ駄目だっていうのでスランプになった時期もあったんですけど、自分は作曲するのを止めようか悩むっていうことにはぶち当たらないで死ぬだろうなと思っていて、なんか確信みたいのがあるんですよ。だから、それだけを支えに生きている感じです。大学院のときとか、今でも時々いい作曲家にはならないよって言ってくる人もいるんですけど、別にそれはあなたの考えで、僕はなんか大丈夫そうだよって(笑)。
上田 確かに疑ってかかっちゃうと、どこまでも疑ってかかれちゃうので、何かをやるとなると才能を疑うのは意味が無いですよね。その行為には際限がないので、コストパフォーマスが悪くなるだけだと思ってしまいます。
平本 それはわかります。活動していると、出来る限りストレス無く行いたい訳です。そうなると、ストレスの原因となる思考は極力しないようにしています。
上田 すごく分かります。理想を言うと、そんなこと考えている時間やエネルギーは他のことにつぎ込みたいですよね。
平本 考えても良いんですけども、考えている時間が明らかに無駄なんですよね。それだったら遊んでいたいとか、お酒を飲んでいたいとか別の時間に充てようとしますね。だから話は脱線しますけど、飲み会ですごく重たい相談をし合う飲み会とかあるじゃないですか、ああいうのはちょっと参加したくない(笑)。楽しく飲んで帰って寝た方がよっぽど頭はリフレッシュするのになあと。だから、ネガティブ思考は基本しないですね、リスクマネージメントの思考はもちろんしますが。