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東京を巡る対談 月一更新

小㞍健太(ダンサー/振付家)× 平本正宏 対談 研ぎ澄まされた経験的感覚—探り、踊る



<野口先生に教わったこと>

平本 そもそも今までどういうダンス人生を過ごしてきたのですか。ローザンヌ国際バレエコンクールやNDTなど色々とあると思うけど。

小㞍 自分でも不確かなんだけど……、3歳のときに踊り始めたらしい。あとから親に聞いた話では、フィギュア・スケートをテレビで見て真似をし、踊りだしたって。それから週1回や2回と多くはなかったけれど、18歳でヨーロッパに行くまで千葉にある野口翠子バレエスタジオに通いつづけました。

平本 野口先生はどういうかたでしたか。

小㞍 先生はもともとモダンの出身で、表現やダンスの見えかたが客観的にキレイか汚いかを重要視する人でした。普通、クラシック・バレエの「パ」は大体決まっていて、自分の実力よりも難しいステップや回転などをしないといけないのですが、「あなたは無理に3回まわってもキレイに見えないから、無理に回るのは止めて、まずは2回転でいいから丁寧に、そしてキレイに回れるようになりなさい」というふうに教えてくれました。この教えはすごく貴重でした! 踊る身体に必要な感性を野口先生に教わったと思っています。

平本 プロになるきっかけっていうのは?

小㞍 それは、ローザンヌで賞を獲ったこと。

ローザンヌコンクールを受けたのは、ヨーロッパのバレエ学校に留学したかったからだけれど、先生も自分もまさか賞をもらえるとは思っていませんでした。しかも、コンクールの結果がプロフェッショナル賞(プロのダンスカンパニーでの研修とそのための奨学金が約束される)で、突然開かれたプロダンサーへの道にすごく戸惑った。けれど、ネオクラシック・バレエ・レパートリーが中心の、モナコ公国モンテカルロバレエ団芸術監督のジャン=クリストフ・マイヨーが僕をすごく気に入ってくださり、実力次第で舞台に立てると言ってくれたので、その言葉を励みにプロの世界に飛び込んじゃった。ちなみに南仏に憧れていたのも助けになった(笑)。今考えたら怖いもの知らずもいいところだよ。

モナコ時代には、ヨーロッパのコンテンポラリー・ダンス界をリードする振付家の作品を踊る機会があり、いままで知らなかった振付家の動きを知り、個性を要求され、刺激されました。なかでもイリ・キリアンの作品に強く惹かれ、20歳の時にキリアンのいるNDTに移籍しようと決意して、オーディションを受けに行きました。

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