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東京を巡る対談 月一更新

ヲノサトル(音楽家)× 平本正宏 対談 コミュニケーション好きの音楽

<コミュニケーションの楽しみ>

平本 余談ですが、僕も大学生のとき発信器とかたくさん集めて、美術学部のダンスやっているやつと組んで活動したりしていましたよ。脚本書いたり、演出考えたりして。はじめて仕事として作曲したコンテンポラリー・ダンスも、振付家がその前に音楽をお願いしていたのが池田亮司さんだったりして。なんか重なる部分もあるなとぼんやり思いました。

ヲノ 若い時って仕事と関係なくそういうことできたのがよかったなと思う。今振り返ると、80年代後半から90年代前半に起こったいろんな出来事って、ネットも普及してないし文献にも残ってない「歴史のミッシング・リンク」的な時期だった気がするんです。その時期かなり面白いことが行われていたんだけど、記録が残っていないんだよね。記録が残るようになったのはネットが出てきた90年代の後半で、Wikipediaでもなんでも残っていないことがいっぱいあるんだよ。

平本 じゃあ、これを機にヲノさんのWikipediaを書き換えちゃいましょうか(笑)。でも確かに文字情報が検索できるようになったのはここ15年くらいの話ですから、80年代や90年代前半のことを調べるのが一番難しいかもしれませんね。

ヲノ それ以前は文献として残っていたりするからね。ちょうどその時期は無いんだよね。今をときめく大友良英さんや吉田アミちゃんや佐々木敦さん、そういう人たちが蠢いていたんだよ。今みたいにネット万能の時代じゃないから、どこかに行かないと情報が手に入らない。だからみんないろんなところに来ていたし、そういうところに行ったら誰かいて会えるんですよ。一例を挙げると大森にあったレントゲン芸術研究所、そこで椹木さんがキュレーションする展覧会があったりすると、大体そういう連中が集まるんだよ。そういう意味では、いまネットのおかげてどこにいても表現できるようになったと同時に、人に会えなくなっている。

平本 篠山紀信さんと話していてもよく聞くんですけど、ここに行くとこういう人たちと会えて飲めたという話を聞くんですけど、そういう場がないんですよね。皆無とは言いませんけど、ほとんど0に近い。

ヲノ まして篠山さんの時代だとピンポイントであったと思うし。逆に言うとネットのおかげで、物理的に会えない人ともコミュニケーションできるようになったんだけどね。僕みたいに子供のいる人間には、ネットとか助かるけど、学生とかこれから何かしようという人間には大変かもしれない。あとフリーランスでやるなら、世代とかジャンルの違う人と会うのが必要だよね。何れにしても、人間が一番大切なんだね。

コンピューターで全部1人でできちゃう音楽に対して、譜面に書く作曲のメリットは実はそういうところにもあって、学生時代からなんとか演奏者見つけようとがんばるじゃない? それで苦労したり。「ごめん、金ないけどヴァイオリン弾いてくれない?」っていうやり取りが後で効いてくるんだよね。

平本 あります。そういう苦労、というか今でもヒーヒーいいながらやるときありますし(笑)。大学に入って、はじめて自分の曲演奏してもらうときに、演奏者に言いたいこと言い過ぎたら演奏が想像の何倍もへんてこになっちゃって、気まずくなった経験をしたりとか、そういうのは大きいと思います。

結局、どうコミュニケーションを取るかっていうことを常に考えていますし、それがバレエとか映画とか演奏家とか他の人と仕事をしていくときに考えてることの半分位を占めていると思います。でも、それは嫌々の作業では決してなくて、やっぱり結局自分がコミュニケーション好きなんだなと思っていて。

ヲノ だから、作曲家って、機材好きで、設計好きで、人間好きなんだと思う、生き残っている作曲家は。

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