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東京を巡る対談 月一更新

束芋(現代美術家)×平本正宏 対談 日常の中の「隠れた衝動」を引き出す

<コンピューターはアシスト役>

平本 コンピューターを使うのは技術的に何かあるから?

束芋 コンピューターを使うのはやっぱりコスト。例えば色を付けるときに、着色を一個一個していくようなアニメーターがやっているようなことをあの量こなそうと思うと、1人ではできない。それを1人でするには、コンピューターを使うことが、コスト面も時間的にも、自身のこだわりを実現する上でもベストかなと思って。コンピューターでやるにしてもフォトショップに入っている色パレットを使って描くのは、私は得意ではないというのがわかったから、色をスキャンニングしたものを使ったり、自分の手書きの線をいれてみたり、そういうことをコンピューターでやってる。

結局そのやり方が、かなり自分なりのやり方、他の人がやっていないやり方になっていった。どこの作業をとっても、考え方としてはすごくアナログで、「コンピューターを使ってそんなことしかしていないの?」って言われるようなことしかしてない。ほとんど切り貼りの作業、その繰り返し、それしかしていなくて。だけどコンピューター上でやることで、1人でできる作業量になっていくから、時間短縮、作業軽減、コスト削減をコンピューターにアシストしてもらっている感じ。

平本 なるほど。ちょっとその話に似ているんだけど、音楽を作るときに、コンピューターの中での作業がシンプルでないと僕の場合いい音楽にならない傾向がある。音楽制作っていまほとんどコンピューターでの作業が基本になっていて、それはもちろん僕自身にも言えることなんだけど、コンピューターがあるからそこに持っていけば何とかなるっていうことはあまり無くて。

いい音っていうのはそれだけでパワーを持っているから、コンピューター上でその音にエフェクトを多用したりと、色々と作業しなくてもいいわけ。そういう“いい音”をいくつか集めて、それをどう使っていくかが僕のコンピューターでの作曲なので、もしかしたら束芋さんの作業と近しいものはあるかもしれないね。2ついい音が見つかったらその組み合わせである程度考えてみて、その中でこういう音が欲しいと思ったら、その音を実際に作ってみる。メロディを入れる場合は、どういうメロディにして、どういう音色で響かせようかを考えて。

コンピューターではそれらを並べるだけっていうのがベストな作曲な気がする。それ以上はミックスという全体のバランス調整だけで、なるべくしないようにして。

束芋 結局それは、コンピューターを使っているのか、コンピューターに使われているのかっていう差になると思う。私がもし、コンピューターのソフトがやってくれるような高度な技術を使った場合に、それはコンピューターが提示するルール上でやるしか無い。そうすると、そのコンピューターの能力を超えることは無いでしょ。結局そのルールに則ってやるしかないから、使われるというか、振り回される状態になる。

でも、もしコンピューターの技術以上のスキルを持っている人がそのソフトを使ったらまた違うだろうし。自分がいまどのレベルでコンピューターと関わっていて、何をすべきなのかっていうのがわかっているかどうかで、作品の最終的なクオリティは決まってくるんじゃないかな。

平本 自分がコンピューターに求めている芯の部分が見つけられると、自分なりのコンピューターの接し方ができるようになるんだろうね。すごくいい味方になってくれるし。

束芋 実際、振り回されている人は結構多いと思う。だから、コンピューターが前面に出てきてしまうような、所謂、メディアアートと言われるような作品は、あまり好きではなかった。でも以前、坂本龍一さんと高谷史郎さん、浅田彰さんのトークを聞きにいったときに、この人たちはコンピューターを使っても振り回されない人たちなんだなと、話の内容から感じたの。色々とコンピューターでの制作の話もしていて、実際に、そこで展示されている作品も感覚的で、すごくいいなと思った。

コンピューターでプログラムを書いてシステムを組んだりして、作品の中で大きな部分をコンピューターが担っているのだけど、振り回されている感じが全く無いのはなんでかな、と。この人たちはきっと、余裕で私が想像しているようなレベルを通り越しているというか、コンピューターの技術なんか上から見下ろしている感じで、全く振り回されることはないんだろうな、と思った。

そう思ったときに、自分はコンピューターの技術を使って何かをやるとしたら、逆に、絶対に振り回されてしまうから、やめた方がいいと確信できた。

平本 坂本さんの音楽って、コンピューターに特化しているイメージがあまり無いんだよね。ピアノとか、ヴァイオリンとか、そういう自分のツールの1つとしか見ていないような印象があって。もちろん、最終的にはコンピューターで仕上げているだろうし、それ以外にも多用しているはずだけど、過剰な期待を持ってはいないと思う。経験値もすごいだろうし、なかったらなかったでいいんだろうなと。

束芋 そうそう。1つの要素としてコンピューターがあって、これを使ったらこんなこともできるっていう、単純に制作にプラスになる部分を見つけたから使っている感じ。それが凄く高度な技術だったとしても、同じような関係を保てるんだろうなという気がした。

平本 だから、作品を作る上で欠かせない技術を自ら選び抜いたんではなく、技術が使いたくてやっているような作品は結構あるからね。音楽でも、それらしい音が鳴っているだけの作品が結構ある。

束芋 それは、コンピューターのことをそれほどわかっていないような鑑賞者にさえも、伝わってしまうからね。

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