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東京を巡る対談 月一更新

束芋(現代美術家)×平本正宏 対談 日常の中の「隠れた衝動」を引き出す

<今までどおりでは済まないイギリス体験>

束芋 その他にニュージーランドの人とも会ったんだけど、やっぱりそれぞれに違う。イギリスという場所は、そういった違う考えも、ある程度は受け入れてくれるところなんだと思う。私もイギリスに行く前はこういうことに対して大体わかっているつもりだったし、わかっていなかったとしても、自分の意思決定においては自分の環境下で答えを出すことができた。イエスかノーかっていう、回答としてはっきりした答えを出せる訳ではないけれど、自分がどの辺りの考えを持っているか認識できた。

でも1度イギリスで生活してみて、そういう色々な考え方の人に会って、立ち位置が変わるとこんなに違うんだ、と思った。さらに、自分がすごく好きな友達の言葉として、自分にとっては違和感のある言葉を聞いたりした。そこで、自分がこれからもの作りをするときに、その人の言葉なんかも考えちゃって、自分の言っていることがすごく薄っぺらい感じがしたりして。でも、自分が感じて来たことは、非道徳的であったとしても、そう感じた実感は否定できないわけだし、今まで作って来たものは全く否定しないのだけど、これから作っていくものに関しては、なかなか今までと同じスタンスではできないなと思って。

で、自分の意志というか、自分の立っている場所が曖昧になって、もの作り自体をどうしたらいいか、と考えたのが一番大きな変革のときで。それで、はっきり意見を持たない自分も、自分の本当の姿なのだから、よろよろした不確かな部分を作品化していこうと思って、作品の作り方が少し変わっていった。

平本 それが2004年?

束芋 そうそう。

平本 その2004年って作品作りの面はどうだったの? 考えたりした時間は長かった?

束芋 なんか何も作れなさそうと思った(笑)。それまでは、「グラフィックデザイナーになりたい」とか「教えることもできるんじゃないか」とか、自分に色んな可能性を感じてたわけだけど、2003年に色々なことをあきらめてきて(笑)、さらに作品も作れないと感じて、「あれ? うちなんもできひんやん」と思った。

でも、2003年にロンドンで色々なことをあきらめることができたっていうのは前進だと思い直して、で、さらに、何も作れなくなるっていうのも、もしかしたらこれは1つの進歩かもしれないと、考えるようになった。だから、そんなに焦らず全ての現状を受け入れて、もの作りを少しずつやっていこうと思うようにした。

2005年に『ギニョる』っていう作品を発表したことと、2006年に『ヨロヨロン』っていう個展を原美術館で開催したときには、ロンドンでの1年間が形になった実感があった。

平本 その2005年と2006年の作品を作り始めたのは、ロンドンから帰ってすぐではなく?

束芋 うん。2004年の3月末に帰って来たんだけど、それから2004年中は結構ダラダラしていて、2005年に入って動き始めたかな。

平本 じゃあ半年くらいは色々考えたりして?

束芋 考えたりっていうよりは、結構放置していた感じ(笑)。私が制作活動を続けていけるなんて、それまで一度も思ったことがなかったし、普通に途中でやめるんだろうなと思っていたから、それが今なのかもしれないなぁ、と。

平本 それはどういう意味でやめると思っていたの?

束芋 まず機会を与えられなくなるだろうと思ってた。機会を与えられないと私は作らないから。そうなると自然に作らなくなって、何か普通に仕事をして収入を得てということになれば、私の人生的には別に全然問題はないわけで。元々期待していなかった分、アーティスト活動、現代美術家としての活動はいつ終わるかわからないと常に覚悟していたから、作れないことで悩むというほどのことではなかった。

ただ、その前まで、できるかなと思って期待していたことが意外とできなかったので、これからの人生どうやってお金を稼いでいくかなぁ~という悩みは漠然とあった。

平本 年齢的なものも関係していたと思う?

束芋 その頃は20代の後半だから、まだ大丈夫だろうと思っていたけど、あの時期が40歳くらいに来たら、厳しかっただろうね。

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