document

東京を巡る対談 月一更新

束芋(現代美術家)×平本正宏 対談 日常の中の「隠れた衝動」を引き出す

<ヴェネチアビエンナーレの経験と東日本大震災>

平本 束芋さんにとって2011年のヴェネチアビエンナーレの経験って大きい? 僕は記録をまとめたボックスを頂いて、会場の記録映像だったり、展覧会までの過程をまとめた文章を見たけど、すごくたくさんの人が関わっていて、作品としてもとてもパワフルで。

束芋 ヴェネチアでは、ものすごく周りのスタッフに恵まれたと思ってる。事前情報として、イタリア人はみんな働かないし、中途半端な仕事しかしないし、嫌な経験をしたことしか聞いたことない、みたいな状況だった。私がヴェネチアの日本館出品作家に選ばれても、周りから言われることが全てマイナスなことばっかりで。でも実際は、私をいままで支えてくれた人たちが集結してくれて、更にその人たちの繋がりで集まってくれたイタリア人が、みんなまたすごい人たちで、正直ものすごく快適にやらせてもらえた。

制作に関しては何も問題なかったのだけど、発表する直前に東日本大震災があって、それでいろいろ大変だった。それこそ、助成を予定してくれていた企業が手を引いたり、額が減らされたりということは仕方の無いことだった。何よりも、関わっている人の色々な立場の違いが、震災後、明確になったでしょ。私も、他のみんなとは考え方も立場も違ったんだけど、その中で、「ヴェネチアで被災地のために何かやろう!」みたいな話になったときには、色々揉めて、結局、何も成立しなかった。でも逆に、無理にそこでやる必要は全然ないんだと確信して、ヴェネチアではちゃんと発表するってことに徹した。例えば募金をするってことであれば、わざわざヴェネチアで募金活動しなくても、既に開かれた窓口はあるのだから、それぞれがそれぞれの場所ですればいいと思って。自分の思う範囲内でやって、それを継続していければ、何よりだって感じたから、様々なところから色々な提案があったんだけど、申し訳ないけど全部却下させてもらった。私の方では、震災関連のことは何もやらないで欲しい、と言うことを伝えて。あの時、「何もしない」ということを理解してもらうのは、大変なことだった。

平本 僕はあの時期チャリティコンサートを1回やったんだよね、入場料を全部寄付するという形で。僕の方も音楽で何かできればと思ったし、自分の音楽をお客さんに楽しんでもらって、その時に派生したお金を東北支援に役立てればと思ったんだけど。でも、そのときに1回だけでチャリティコンサートをやめたんだよ。あの時期のアーティストはお金取っちゃいけない、取るなら全部寄付しなきゃいけないっていう流れがちょっと違うなと思って。

僕らは作品を作ったり、演奏したりしてお金を稼いでいるわけで、そこにはものすごく時間も労力も割いている。だから、復興支援のために音楽を届けるのは全力でするし、そのためにはできる限りのことはしたいと思ったけど、それをした上にお金も貰ってはいけないのは何かおかしいと。だから1度はチャリティでやったけど、次からはそういうことは無しにさせてもらった。でも、色々な考え方があるし、人によっては音楽やアート、アーティストに対する考え方も違うから、自分が関わることや自分を中心とした演奏では、僕自身の考え方をきちんと表明することが大事だと感じたよ。

束芋 そうそう。いまだにみんなそれぞれ、考え方は違うと思う。私の場合は、友達が数日間、連絡が取れなくなってしまって、たくさんの人の力を借りて遠隔で人探しをしていた。その数日間は、友人が死んでしまったかもしれないという、初めて経験する大きな不安を四六時中抱えて。だから、自分は震災の現場にはいなかったけど、ご家族を亡くされた方の気持ちは響くものがあった。友人が無事だという連絡は、震災3日後だったかな、友人のお母さんから入って、本当によかったのだけど。安否がわからない間、お母さんとは頻繁に連絡を取っていて、電話口でお母さんは気丈に振る舞っていたけど、このときの気持ちは、私には計り知れない。このことで、どんな立場も、経験しないとわからないな、と強く思った。

更に言うと、私は友人や知り合いで亡くなった人がいないから、亡くされた方の気持ちは絶対にわからないと思う。わからないのは仕方ない。だから「わからない」という立場を否定するべきではない。被災地への支援も、私は自分なりのやり方でやるし、それぞれのやり方っていうのを、認め合えなくてはダメだと。


ヴェネチアビエンナーレの記録をまとめた「teleco BOX」

平本 何か1つの意見に収束するっていうのは違うだろうし。

束芋 そう。あの時期、ヴェネチアの最後の制作をやっていた時期だったんだけど、支援する側は“こうあるべきだ”っていう話になっていった時期だった。こういう風なことをやる人は間違っているとか、自分と考え方、やり方が違う人を責めたりして。みんなすごく気が立っているから、この状態では何もできないと個人的に思って、全ての震災に関することをお断りした。私の決定に主催者側とか、スタッフの中でも不満に思う人は沢山いたと思うのだけど、ヴェネチアで発表する作品は私の作品なので、「これをちゃんと見せることが何よりも強い架け橋になると思います」と言って。納得はしてくれなくても、作品と関係のないことはやらないで欲しい、とにかく今は震災と作品を切り離して下さいって。

平本 結局一番フラットでいること、本来の目的をきちんと成し遂げることが重要だったりするからね。

束芋 ヴェネチアの経験で、いままで関わってきてくれた人たちへの感謝と尊敬の気持ちが、更に強いものになったのは、気持ちとして1つのものに向かっている面々でも、震災などが起きて、プライベートな場所でのそれぞれの思いは違うんだということがわかったとき、それを理解し合える関係だったことを改めて感じられたからだと思う。

あと、単純に、あの日本館での展示が本当にいい形で実現したということは、これだけの人たちがやる気になれば、世界中ほとんどの場所でやれるんじゃないかな、というふうに思った。でも、私の場合は常にそれなりにお金を使って制作するし、新しいことをやっていきたい、フレッシュな感覚を体験したいっていう欲望があるから、同じことを繰り返して、間違えないものにしていくっていうやり方じゃなくて、やったことのない場所で展示を実現したり、どうしてもリスクがある方を選んでいく。必ずしもこれだけの経験をしたからと言って、絶対に今後、間違えることはないとは言えないけど、でも、これだけの人たちが、沢山の難しい問題を一個一個丁寧に解決していったことを知ってるから、きっと、今難しいと思っていることも、実現可能ではあると感じてる。

自分のこの経験が、次にやる人にも伝わっていけばいいなと思ったんだけど、なかなかそれが難しいみたい。国際交流基金の方々に、こうした方がいいんじゃないかということを、過去にヴェネチアビエンナーレを経験した作家は、みんな言ってきたみたいなんだけど、その経験を引き継ぐ人がなかなかいなくて。毎年作家は変わるし、キュレーターも変わり、国際交流基金の担当者も変わってしまう中で、ヴェネチアの現場のことを経験として知っている人がほとんどいない。

平本 なるほど、知識として、資料としては残っても、体験として引き継がれないんだ。

束芋 そういう問題の解決策として、去年の建築展は、私の担当をしてくれた基金の方が、2年連続で担当になることが、やっと実現したんだって。そうやって、少しずつ改善はされてきているんだろうだけど、いきなりバッとは変わらないよね。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10