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東京を巡る対談 月一更新

林かんな(映像翻訳者・世界ワーカー)×平本正宏 対談 ホドロフスキーに魅せられて飛び込んだ映画の世界

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(写真は実は対談場所も偶然見つけたコインランドリー)

〈登場人物になりきって言葉遣いを選ぶ〉

平本 字幕を作る上で絶対に守っていることや、ご自身の哲学みたいなものはありますか?
 自分でやろうと思ってやっているわけではないんですけど、それぞれの役になりきってるみたいです。たまに「このセリフは日本語だと、こう言ってるとしか聞こえない」って思うときがあって、自分的にはすごくその場に合ってるし、自然だと思うんですけど、その箇所について制作側からチェックが入ることもあります。そんなとき、人はそれぞれセリフが全然違うように聞こえてているのだな、翻訳って正解のない世界なんだなって感じますね。

平本 どういう人がチェックをされるのですか?

 チェッカーの方です。担当者がチェッカーをすることも多々あります。翻訳をするときに、すごく入り込める作品もあれば入り込むのが難しい作品もありますね。なるべくその世界観を壊さない、その世界観にフィットできるようには努力はしていますけど。逆に普通に観客として映画を見てるときに、このキャラクターはこんな言葉遣いをしているように聞こえる? と違和感があるときがあります。

なので人物になりきって、こんなときにこんな言葉遣いをするだろうかと考えることはよくあります。例えば、漁師のセリフであれば、こんな四字熟語は使わないだろうな、とか。その感性がまったく違う担当者にチェックをされたりするとしんどいですね。常に自分の思うニュアンスが合っているというつもりはないけれど、それまでの物語の中での流れを考えたときに、担当者から見当違いな意見を主張されたら「わかってないでしょ」という気持ちが生まれてしまうこともあります(笑)

平本 確かにその感覚の共有は、とことんできないと辛いかもしれません(笑)

人物になりきって翻訳を考えていくという手法は独自のものですか? それともどこかで教えられたものなのでしょうか?

 学校では教えられてないですが、子どもの頃に親が読み聞かせしてくれたときに、会話の部分は会話っぽく読んでくれたのが背景にあると思います。

平本 なるほど。確かに言葉にはその発した人の個性が含まれていますし、それがセリフっぽく読まれると活きてきますよね。映画を観ていても、翻訳されたセリフが活きていないと、その人物の質感にフィットしていないと見ずらいはずです。

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